「道をひらく」松下幸之助 ㉟
・岐路にたちつつ
動物園の動物は、食べる不安は何もない。他の動物から危害を加えら
れる心配も何もない。きまった時間に、いろいろと栄養ある食べ物が
与えられ、保護されたオリのなかで、ねそべり、アクビをし、ゆうゆう
たるものである。
しかしそれで彼らは喜んでいるだろうか。その心はわからないけれども、
それでも彼らが、身の危険にさらされながらも、果てしない原野をかけ
めぐっているときのしあわせを、時に心に浮かべているような気もする
のである。
おたがいに、いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、
したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない。そんな境遇に
あこがれることがしばしばある。しかしはたしてその境遇から力強い
生きがいが生まれるだろうか。
やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたち
つつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切りぬけてゆく—-
そこにこそ人間としていちばん充実した張りのある生活があるとも
いえよう。
困難に心が弱くなったとき、こういうこともまた考えたい。
・困っても困らない
ひろい世間である。長い人生である。その世間、その人生には、困難
なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある。
程度の差こそあれだれにでもある。自分だけではない。
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その
人の幸不幸、飛躍か後退かがきまるといえる。困ったことだ、どうし
よう、どうしようもない、そう考え出せば、心が次第にせまくなり、
せっかくの出る知恵も出なくなる。今まで楽々と考えておったことでも、
それがなかなか思いつかなくなってくるのである。とどのつまりは、
原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、不平でわが
身を傷つける。
断じて行えば、鬼神でもこれを避けるという。困難を困難とせず、思い
を新たに、決意をかたく歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となる
のである。要は考え方である。決意である。困っても困らないことで
ある。
人間の心というものは、孫悟空の如意棒のように、まことに伸縮自在
である。その自在な心で、困難なときこそ、かえってみずからの夢を
開拓するという力強い道を歩みたい。
● とどのつまり
いきつくところ。結局。多く、思わしくない結果である場合に用いる。
● 鬼神
「鬼神 (きしん) 」を訓読みにした語という》荒々しく恐ろしい神。
きじん。
この続きは、次回に。