「道をひらく」松下幸之助 ㊿+6
○ 自主独立の信念をもつために
・自得する
獅子はわが子をわざと谷底につきおとす。はげしい気迫である。
きびしい仕打ちである。だがそのきびしさのなかで、幼い獅子は決して
へこたれない。
必死である。真剣である。そして、いくたびかころび落ちながらも、
一歩一歩谷底からはい上がる。はい上がるなかで、はじめて自立を会得
する。他に依存せず、みずからの力で歩むことの大事さを、みずからの
身体でさとる。つまり自得するのである。そこから獅子本来のたくま
しさが芽生えてくる。
自得するには、きびしさがいる。勇気がいる。ときには泣き出したい
ような、途方に暮れるようなこともあろう。泣くもよし。嘆くもよし。
しかし次の瞬間には、新たな勇気を生み出さねばならない。
きびしさこそ、自得への第一歩ではないか。たくましい自立への道を、
みずからさとる貴重な道しるべではないか。勇気を出そう。
元気を出そう。
激動する世界のなかで、日本の国も容易でない。だから、おたがい一人
ひとりも、決して容易でない。
自得へのきびしい日々を覚悟したいものである。
● 自得
「処世術を―する」
・虫のいいこと
人間はとかく虫のいいことを考えがちで、雨が降っても自分だけはぬれ
ないようなことを、日常平気で考えている場合が多い。別に虫のいい
ことを考えるのがいけないというのではないが、虫のいいことを考える
ためには、それ相応の心がまえが必要なのである。
雨が降ったらだれでもぬれる。これは自然の理である。
しかし傘をさせばぬれないでもおられる。これは自然の理に順応した
姿である。素直な姿である。
だから、自然の理をよく見きわめて、これに順応する心がまえを持った
うえならば、どんなに虫のいいことを考えてもかまわないけれど、傘も
持たないで自分だけはぬれないような虫のいいことを考えているならば、
やがてはどこかでつまずく。つまずいても構わないというのなら何も
いうことはないけれど、人はとかく、つまづいたその原因を、他人に
押し付けて自分も他人も不愉快になる場合が多いから、やはり虫のいい
ことは、なるべく考えないほうがいい。
おたがいに忙しい。忙しいけれど、ときには静かに、自分の言動を自然
の理に照らして、はたして虫のいいことを考えていないかどうかを反省
してみたいものである。
● 自然の理
天地自然の理。道理。
この続きは、次回に。