「道をひらく」松下幸之助 ㊿+20
・己を知る
戦いはまず敵を知ることから始めよ、とはよくいわれることである。
太平洋戦争においてわが国が負けたのも、米国の力をよく認識して
いなかった、相手をよく知らなかったからだといわれている。
それもたしかに一理であろう。大事なことである。
しかし、敵を知る前に、本当は、もっと大事なことがあるのではなか
ろうか。
それはつまり、まず〝己を知る〟ということである。己をかえりみる
ということである。
敵を知ることもむつかしいけれども、己を知るということは、もっと
むつかしい。
しかし、敵を知らなければ、勝負は定まらないとしても、己を知らな
かったら、戦いには必ず敗れる。連戦連敗、その敗因はわが身にあり
である。
世事万般、これと全く同じことがいえると思う。みずから不都合を生み
出している場合が、案外に多いのである。
敗因われにありという悔いをおたがいに残さないために、己を知る
心がけを、いかなる場合も失いたくないものである。
● 己を知る
孫子の兵法に出てくる有名な一節に「敵を知り、己を知れば百戦危う
からず」という言葉があります。「戦いに勝 とうと思うなら、まず
相手のことを知らなくてはならない。相手を研究し、自分の得意・
不得意についてよく理解すれ ば、どんな戦いでも勝つことができる。」
というように解 されます。
● 世事
世間の出来事をいう。
● 万般
● 敗因はすべてわれにあり
武田信玄がこういうことをいっている。
「負けるべきでない合戦に負けたり、亡ぶはずのない家が亡ぶのを見て、
人はみな天命だという。しかし自分は決して天命だとは考えない。
みなやり方が悪いからだと思う。やり方さえよければ、負けるような
ことはないだろう」
戦えば必ず勝ち、戦国時代最高の名将とうたわれた信玄のことばだけに、
非常な重みがある。
たしかに、何ごとにおいても、われわれは失敗するとすぐに「運が
悪かった」というようないい方をしがちである。それは何も今日の
人間だけでなく、“勝負は時の運”とか、“勝敗は兵家の常”といった
ことわざもあるくらいだから、昔からそういう考えは強かったのだ
ろう。しかし、そういう考えはまちがっていると信玄はいっている
わけである。敗因はすべてわれにありということだろう。
きびしいといえばまことにきびしいことばである。
この続きは、次回に。