「道をひらく」松下幸之助 ㊿+26
・年の瀬
年の始めがあれば年の終わりがあるのはあたりまえで、だからいまさら
になってバタバタあわてる必要もないのだが、やっぱり年の暮れに
なってみると、あれもこれもとウロウロする。一年三百六十五日の
最後のしめくくりをつけておきたいと思うのであろう。
人間、生まれたときがあれば死ぬときがあるのはあたりまえで、だから
死が近づいたとていまさらあわてる必要もないのだから、さてとなると、
やっぱりあれこれと気ぜわしくなる。年の瀬はむりやりにでも起こせる
が、生命の瀬はそんな具合にはゆかない。
年の瀬は、これを越してしまえば年の始めがある。しかし生命の瀬は
それでおしまい。まことに融通のきかない話である。
しかし融通がきかないからこそ、人はまた真剣にもなるのであって、
融通無碍もいいが、融通のきかないことにもまた一得がある。
人はさまざま。事はさまざま。いろいろと気苦労なことであるが、
人生の最後には融通のきかない一線があることを知って、つねひごろ
から心がけをよくしたいもの。
こんなことはわかりきったことだが、わかりきったことだけに、何度も
自分に言い聞かせておきたいものである。
● 融通無碍
ゆうずうむげ とどこおることなく通じて障害がないことという意味。
転じて、思考や行動が一つにこりかたまることなく、自由でのび
のびしていること。 また、自由自在になんの障害もなく、物事が
滑らかに運ばれることをたとえていう。
● 一得
・自分の非
人間は神さまではないのだから、一点非のうちどころのない振舞など
とうてい望めないことで、ときにあやまち、ときに失敗する。それは
それでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、その自分の
非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟を持って
いるということである。
昔の武士がいさぎよかったというのも、自分の非をいたずらに抗弁する
ことなく、非を非として認め、素直にわが身の出処進退をはかった
からで、ここに、修業のできた一人前の人間としての立派さが、うかが
えるのである。
むつかしいといえばむつかしいことかもしれないが、それにしても、
近ごろの人間はあまりにも脆すぎる。修練が足りないというのか、
躾ができていないというのか、素直に自分の非を認めないどころか、
逆に何かと抗弁をしたがる。そして出処進退を誤り、身のおきどころを
失う。とどのつまりが自暴自棄になって、自分も傷つき他人も傷つける
ことになる。これでは繁栄も平和も幸福も望めるはずがない。
自分の非を素直に認め、いつでもこれに殉ずる——–この心がまえを、
つねひごろからおたがいに充分に養っておきたいものである。
● 殉ずる
ある人に義理立てして、同じ行動をとる。
「辞任した大臣に―・ずる」
● 抗弁
「激しく―する」
● 出処進退
出て官途にあることと、しりぞいて民間にあること。役職にとどまる
ことと役職を辞すること。身の振り方。「―を明らかにする」
● 修練
人格・学問・技芸などが向上するように、心身を厳しく鍛えること。
「―が足りない」「―を積む」「武道を―する」
● とどのつまり
結局のところ。行き着くところ。多く、思わしくない結果に終わった
場合に用いられる。
● 自暴自棄
失望などのために投げやりな行動をして、自分を駄目にすること。
また、そのさま。▽「自暴」はめちゃくちゃなことをして、自分
自身のからだを損なうこと。「自棄」は自分で自分を見捨てること。
この続きは、次回に。