「道をひらく」松下幸之助 ㊿+33
・覚悟はよいか
事に臨んでイザというとき、うろたえもせずあわてもせず、ひごろの
覚悟のほどを示して決然と、しかも悠揚として事にあたるということは、
まずはおたがいになかなか至難のことである。ことほどさように、つい
日々をウカウカとすごしていることになるわけで、だからイザ〝覚悟は
よいか〟と問われたら、なすすべもなく呆然自失、悠揚決然どころでは
ない。
しかしよく考えてみれば、日々の営みのなかにおいて、おたがいに
刻々に、その覚悟のほどを問われているわけで、たとえば今日のこの
交通地獄のなかでは、一歩家の外へ出れば、いついかなる危難がふり
かかるかわからず、すでにここにおいても、その覚悟がうながされて
いるわけである。
すべてのことにおいて、いろいろの姿で刻々に〝覚悟はよいか〟と
問われているのである。そのことをみずから察知して、自問自答する
かしないかは、その人の心がけ一つであろう。ましてや昨今のわが国の
社会情勢、経済情勢は、世界の動きとともに寸刻の油断もならない様相を
呈しつつある。つねに〝覚悟はよいか〟と問われることを、おたがいに
覚悟したいものである。
● 悠揚
1. ゆったりとしてこせこせしないさま。落ち着いているさま。
2. ゆるやかにあがること。また、はるか遠くまで届くこと。
「梵音雲に―す」〈太平記・二四〉
● 至難
この上なくむずかしいこと。また、そのさま。「―のわざ」
● 呆然自失
呆れ果てたり、あっけにとられたりしてぼんやりしてしまい、気が
抜けてどうにもならないさま。「茫然」は、気が抜けて心がそこに
ないさま。 「自失」は、我を忘れるさま。
「茫然」は、「呆然」とも書く。
● 決然
● 刻々
1. 時の流れのひと区切りひと区切り。「時々―を大切に生きる」
● 危難
● 自問自答
● 寸刻
この続きは、次回に。