続「道をひらく」松下幸之助 ④
・完全無欠
完全無欠ということは、これ以上望めないほどに好ましいことではある
けれど、この完全無欠な状態を、お互い人間に求めることは、まずは
不可能である。
人間個々はそんなに完全にはつくられていない。だから、その考える
こと、なすことに、どこか欠けるところがあったとしても、一応はやむ
を得ないことと素直に理解し合わねばなるまい。
この素直な理解があれば、おのずから謙虚な気持ちも生まれてくるし、
人をゆるす心も生まれてくる。
そして、互いに足らざるを補い合うという協力の姿も生まれてくるで
あろう。
人はとかく、己れの考え、なすことを完全無欠と錯覚し、みずからを
ひとり高しとして、他にもその完全無欠を求めんとしがちである。
しかしそこに生まれるのは、いたずらな対立といさかいと、そして
破たんだけであろう。
完全無欠でないからこそ、調和が必要なのである。
この道理のなかに、繁栄への一つの道がひそんでいるのではあるまいか。
● 完全無欠
欠点や不足が全くないこと。 完璧なこと。 非の打ち所がないこと。
・天与の妙味
砂糖はあまく、塩はからい。全くの正反対。だから、あまくするには
砂糖さえあればよいので、塩は不要のように思えるけれど、その正反対
の塩をすこし入れることによって、砂糖のあまさはさらに深味を増す。
正反対の調和から生まれた新しい味である。天与の妙味である。
われに対立するものは、すべて排したい。押しのけたい。われさえ
あればよいとねがう。これは一つの人情でもある。そして、排しても
排し切れず、押しのけても押しのけ切れないままに、心を痛め、悩みを
深める。本来、排せるものでなく、排すべきでないものを排しようと
しているからである。
対立大いに結構。正反対大いに結構。これも一つの自然の理ではないか。
対立あればこそのわれであり、正反対あればこその深味である。
妙味である。
だから、排することに心を労するよりも、これをいかに受け入れ、
これといかに調和するかに、心を労したい。
そこに、さらに新しい天与の妙味が生まれてくる。日々に新たな道が
ひらけてくる。
● 天与
● 妙味
1. なんとも言えない味わい。非常にすぐれた趣。
醍醐味 (だいごみ) 。「すぐれた作品のもつ―」
2. いいところ。うまみ。「―のある商い」
この続きは、次回に。