続「道をひらく」松下幸之助 ⑪
・出処進退
日本古来の武士道については、いろいろと解釈もあろうけれど、これは
つまり要するに、人間の出処進退の真ずいを教えたものであると思う。
やってはならんときには、やってはならん、そして、やらねばならん
時には、断固としてやる——これがつまり武士道というものなので
ある。
お互いにわが身がかわいいから、自分の利害損失について敏感である
のはあたりまえではあるけれど、しかし、わが身の利害損失のみで是非
善悪を論じ、出処進退を決するならば、これは動物と大して変わりの
ないことになる。いつもそうであれとは言わないけれど、やらねばな
らんときには、一身の利害を第二にして、一つの強い使命感のもとに、
断固としてやる。また、やってはいけない時には、たとえ面目がつぶ
れても、き然としてやらない。それができるところに人間としての一つ
の尊さがあるのである。利害、面目を超越して、常に真実に立ち、真実
に直面して事を進めていくという心がまえが大事なのである。
お互いに弱い人間ではあるけれど、折にふれてこういう反省も加えて
みたい。
・冬の陽光
今ほど素直な心の大事なときはない。どんなに力んでもみても、自分
一人では生きられないし、また自然をはなれて人間の知恵や力だけで
生きられるないし、また自然をはなれて人間の知恵や力だけで生きら
れるものではない。
素直な心になれば、ここの道理がおのずからにして明らかになるもの
だが、それでもなお知恵ある人は、その知恵のみを頼りに策をろうし
ようとするし、力あるひとはその力のままに道をゆがめようとする。
そしてその疑惑にみちた顔からは、次第に心のあたたかい光を失って
いく。
今ほど素直な心の大事なときはない。あなたがあっての私であり、私が
あってのあなたなのである。素直な心はそこの道理に眼をひらかせて
くれるのだが、それでもなお人は、私だけがあればよいと思いがちで、
だから知らず知らずの孤独の中で、次第にほほえみを失っていく。
真冬の陽だまりはなつかしい。寒さがきびしければきびしいほど、雲間
から洩れる淡い陽光にも心なごむ思いがする。あたたかく、なつかしく、
互いに身を寄せ合いたいようなこの天からのせせらぎ。素直な心はまた、
冬の陽光とも言えようか。
この続きは、次回に。