お問い合せ

続「道をひらく」松下幸之助 ⑬

・すずしい眼

 

幼き児。言葉もまだ持たない花のような幼き児。だきあげたその子に

ジッと見つめられる。

すずしい眼である。何のにごりもない澄んだ瞳である。その瞳が、

こちらの眼を一心に見つめる。無心というのであろうか、素直という

のであろうか。神の眼で見通されてしまうようなそんな思いがして、

思わず眼をそらす。それでもまだジッと見つめている。こちらの眼を

追っている。

世の中が乱れ、人の心が乱れてくると、人びとの眼がにごり出す。

人の見つめ、世を見つめ、おのれを見つめるその眼のなかに、知らず

知らずのうちに、私心のかげりがひろがり、疑いと不信のまくがおおい

出す。

そして、見れども見えず、事の真実が見通されないままに、非はすべて

他にありとののしり出す。幼き日のあのすずしい眼はどこへ行ったの

であろうか。

幼き児から眼をそらすまい。いつまでもいつまでも見つめ合いたい。

そしてそのすずしい眼を見つめつつ、ひとときの自問自答を重ねたい。

 

・当然のこと

 

〝べからず〟とか〝すべし〟とか〝ねばならない〟とか、命令的で

強制的で禁止的で、だからどうにも心の重たい言葉は、人から敬遠

される。ことに近ごろのように、自由で開放的で、放恣なまでの世相

からしたならば、人として当然きびしく求められることも、それが当然

の要求でなくなって、不当なことのように思われてしまうような気配

である。

世の中の激しい移り変わりの一過程として、これも止むを得ないと

言えばそれまでだが、それにしても、人として当然なさねばならぬ

こと、当然つとめるべきこと、当然果たさねばならぬこと、当然考え

ねばならぬこと、そして当然責任を持たねばならぬことなどは、いつの

時代にもどんな人にも、当然として受け取らなければなるまい。

この当然の観念が薄れたら、世の中のしまりがなくなり、人々の幸せ

も失われる。

人として当然なさねばならぬこと、当然つとめるべきこと、当然果た

さねばならぬこと、当然考えねばならぬこと、そして当然責任を持た

ねばならぬこと—-それらを不当なことに押しやっていないか、お互い

にもう一度よく反省してみたい。

 

● 放恣

 

気ままでしまりのないこと。勝手でだらしのないこと。また、そのさま。

「―な日々を送る」「生活が―に流れる」

 

 

この続きは、次回に。

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