続「道をひらく」松下幸之助 ⑰
・甘える
こどもが親に甘えているのはかわいいけれど、ひとりだちのあゆみの
ときになっても、なお甘えの姿勢でいるなら、親もいささかうとまし
くなる。だからときにきびしくもするのだが、甘えに馴れた心では、
そのきびしさが素直にうけとめられない。だから、うらがえしの不平
となり不満となり、やがては互いに嘆きとなり怒りとなる。
甘えるのは、甘えられる相手があるからである。そして、甘えられる
方も甘えさすゆとりがあるからである。しかし昨今のきびしい世相の
なかでは、甘える相手もなければ、甘えさすゆとりもなくなりつつある。
にもかかわらず、なおも甘えの姿勢で歩もうとすれば、事ごとに思い
がはずれて、いたずらに心を暗くするだけである。そのゆとりのない
きびしい現実のなかで、みんなが甘え合っていたら、心暗きままにや
がてはみんなが倒れてしまう。
大自然はつねに生成発展している。しかしその理法はきびしく、みじ
んの甘さもない。人みなの営みも同じことである。甘えの姿勢からは、
絶対に生成発展は生まれないのである。
窮屈にしろというのではない。きびしさに耐えてこそ、ほんとうの心の
明るさとゆたかさがあることを知っておきたいのである。
● 生成発展
生成発展とは、日に新たにということであります。古きものが滅び、
新しきものが生まれるということであります。
これは自然の理法であって、生あるものが死にいたるのも、生成発展
の姿であります。
これは万物流転の原則であり、進化の道程であります。
お互いに日に新たでなければなりません。絶えざる創意と工夫とに
よって、これを生成発展の道に生かしていくとき、そこに限りない
繁栄、平和、幸福が生まれてまいります。
この続きは、次回に。