続「道をひらく」松下幸之助 ㊹
● もがく
海や川にもぐる人が多くなった。今までは、漁師や専門家の人だけの
分野だったものが、このごろは十分な指導、訓練もないままに、たや
すくもぐってしまう。だから、藻にからまれたり、ウズにまかれたり、
事故が多くなる。
そして、もがく。そして、もがけばもがくほど、ますます藻がからみ、
ますますウズに引きこまれる。ちょっと動きをとめれば、スッと浮き
上がるのにとも思うのだが、本人は夢中で、もがいているつもりは
すこしもない。
これは水にもぐる場合の話であるけれど、お互いの日々において、何と
まあもがいていることの多いことか。自分ではもがいているつもりは
ないのだが、あっちに引っかかり、こっちに引っかかり、あれがからみ、
これがからみ、結局はますます身動きができなくなってしまう。
やっぱり、もがいてはいけないのである。そして、もがいていることを
自覚しなければならないのである。そのために、もうすこし冷静な
第三者の意見に、素直に耳を傾けたい。衆知を集めることの大事さが、
こんなところにもあるのである。
● 鐘が鳴って
太鼓が鳴って、鐘が鳴って、夏祭りの季節である。大阪の天神祭り、
京都の祇園祭など、そんな代表的なものを持ち出すまでもなく、きょう
このごろは、そんな祭りが、年ごとに盛んになって、あちらの町でも、
こちらの社でも、太鼓が響く、鐘が鳴る。夏の情緒でもある。
神を祭るいわれはいろいろあろうけれど、一つには、日ごろの安泰を
神に謝し、明日の無事を祈る気持ちから、遠い祖先のむかしより自然に
生まれ出たものにちがいない。
恩恵あまねく天地の神々に、今更そんな儀式めいた事をしてみてもと
言えばそれまでだが、それでも山海の珍味を供え神酒を捧げて、感謝と
祈りの気持ちをあらわさざるを得ないのが、人間の一つの本性でもある。
そうとすれば、にぎやかなはやしの響きも、夏の暮らしの情緒以上に
深い意味があろうし、また年ごとに盛んになる夏祭りとともに、神に
対するだけでなく、お互い人間の間にも、もっともっと感謝の気持ちが
往き交うてもいいような気もする。
鐘太鼓は、ただ無意味に鳴っているのではないようである。
この続きは、次回に。