続「道をひらく」松下幸之助 ㊿+20
● この子らと
越すに越されぬ年の暮れではあるけれど、こどもらは明るく無心に
笑っている。
不安と不信のなかで、誰もが落ち着きを失いつつあるきょうこのごろ
ではあるけれど、こどもらは仲よく手をつないで、嬉々として学校に
通っている。いろんなことがあって、さまざまのことが相次いで、
あわてたり青ざめたり、思わぬ不幸に未だ涙もかわかぬ人もたくさん
あるなかで、それでもこどもらは大きな声で歌をうたっている。
笑っている。
世相はいよいよ混迷しつつある。けれども、こどもらの顔は底抜けに
明るく清らかである。どこに不安があるか、どこに不信があるか。
どこに悲愁の涙があるか。
この子らのために、やっぱり心を強く持とう。いろんなことが相次い
でも、やっぱり希望の灯をかかげよう。勇気をふるい立たそう。
こどもらの笑顔に心を洗われてつつ、この子らのゆたかな未来のために、
きょうのこの一日を、この年の暮れの日々を、思い高く懸命にふみし
めていこう。
みんなと共に。この子らと共に。
■ 嬉々(きき)
嬉しそうな様子。 同じ読み方の「喜々」と意味はほとんど同じだが、
一般的には「喜々」の表記が使用されることが多い。
■ 悲愁(ひしゅう)
悲しみに深く心が沈むこと。悲しみとうれい。
● 成功の連続
何ごとにおいても、三ペンつづけて成功したら、それはまことに危険
である。
人間の弱さというか、うぬぼれというか、安易感というか、つづけて
三度も調子よくいったなら、どうしても自己を過信する。自分は大した
ものだと思うようになる。そして世間を甘く見る。そこから、取り返し
のつかない過失を生み出してしまうのである。
だから本当は、三度に一度は失敗した方がいいようである。他人から
見て、たとえそれが失敗だと思われなくても、自分で自分を省みて、
やり方によってはもっとよい成果があがったはずだったと考えたら、
それはやはり一つの失敗である。失敗とみずから感じなくてはならな
いのである。
こうして、三度に一度は失敗するが、そこから新たな自己反省を得て
二度は成功する。
それがくりかえされて、次第次第に向上する。それが本当の成功の
連続というものではなかろうか。
お互いに人間の弱さを持っている。その弱さをどう生かしていくかが
大事なのである。
この続きは、次回に。