「生き甲斐」「働き甲斐」「やり甲斐」を考える ㉑
要約、秋の気配を感じます。夜も毛布をかけて眠らないと寒く、
今朝も長袖にパーカーを羽織り、外出致しました。
明日は、いよいよワールドカップ(W杯)フランス大会1次リーグ
最終戦のアルゼンチン戦(8日日本時間午後8時開始)です。
一杯飲みながら、観戦したいと思います。
—「自信を失ったときに—絶対の確信」–
刻々に変わりゆくこの世の中、あすをも知れぬ人の世で、神か仏で
ないかぎり、絶対にまちがいのない道など、ほんとうはないのである。
だからこそ、おたがいに過ち少なく歩むために、あれこれと思い悩み、
精いっぱいに考える。その果てに、どうにもほかに道がなさそうで、
だからこの道がいちばんよさそうで、そう考えて、それでもまだ心
もとないけれども、心もとないままではしかたがないから、そこに
勇気をふるって歩みつづけるのである。みずからを励まし励まし歩み
つづけるのである。
—「自信を失ったときに—心を定めて」—-
嵐が吹いて川があふれて町が流れて、だからその町はもうダメかと
いえば、必ずしもそうではない。十年もたてば、流れもせず、傷つ
きもしなかった町よりも、かえってよけいにきれいに、よけいに繁栄
していることがしばしばある。
(中略)
災難や苦難は、ないに越したことはない。あわずにすめば、まことに
結構。何にもなくて順調で、それで万事が好都合にゆけばよいのだが、
そうばかりもゆかないのが、この世の中であり、人の歩みである。
思わぬ時に思わぬことが起こってくる。
だから、苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし、そんな
思いで安易に流れず、凡に堕さず、いずれのときにも心を定め、思い
にあふれて、人一倍の知恵をしぼり、人一倍の働きをつみ重ねて
ゆきたいものである。
—「自信を失ったときに—懸命な思い」—-
人生は坦々たる大道を行くが如し、という人もあれば、嶺あり谷あり
起伏の連続、という人もある。いずれが真実か見る人によってそれは
さまざまであろう。
(中略)
おたがいに起伏の連続と見ているこの人生も、実はそれは起伏でも
何でもないのであって、坦々たる大道ではないかということになる
かもしれない。つまり、坦々たる大道として与えられているこの
人生を、わが心至らず、わが心眼ひらかざるために、嶺あり谷ありと
観じているのかもしれないのである。
いつの日か、この真実が見きわめられるであろう。けれども、今は
ただおたがいに、懸命にわが道を歩むほかないであろう。懸命な思い
こそ、起伏があろうと、坦々としていようと、ともかくもわが道を
照らす大事な灯なのである。
—「自信を失ったときに—窮屈はいけない」—
ものには見方がいろいろあって、一つの見方がいつも必ずしもいち
ばん正しいとはかぎらない。時と場合に応じて自在に変えねばならぬ。
心が窮屈ではこの自由自在を失う。だからいつまでもこの一つに執
して、われとわが身をしばってしまう。身動きならない。
そんなところに発展が生まれようはずはない。
万物は日に新たである。刻々と変わってゆく。きょうは、もはや
きのうの姿ではない。だからわれわれも、きょうの新しいものの
見方を生み出してゆかねばならない。
おたがいに窮屈を避け、伸び伸びとした心で、ものを見、考えて
ゆきたいものである。
「生き甲斐」「働き甲斐」「やり甲斐」を考える参考にしたいと思います。
2023年10月7日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美