Think clearly シンク・クリアリー ⑭
14. 買い物は控えめにしよう—「モノ」より「経験」にお金を使ったほうがいい理由
□ 車を「所有」する喜びと、車を「運転」する喜び
あなたは、車を所有しているだろうか? もしくは、家(マンション)を持っているだろうか?
パソコンを持っているだろうか?
それを持っていることに、どれぐらい「喜び」を感じているだろうか?
心理学者のノーベルト・シュヴァルツ、ダニエル・カーネマン、徐菁(シージン)は、車を
所有している人たちにこの質問をし、持っている車の価格と答えを比較する研究を共同
で行った。
すると、「車が高級であればあるほど、所有者の喜びも大きい」という結果が出た。
(中略)
次に少し違う質問をしてみよう。前回、その車を運転したとき、運転中にあなたは
どれぐらい喜びを感じていただろうか?
(中略)
だがこの質問に対しては、車の価格と答えに、まったく相関関係は認められなかった。
高級車でも使い古しの車でも、喜びを感じる度合いは共通して低く、最低レベルにとど
まったのだ。
□ モノの喜びはどんどん小さくなってしまう
(中略)
理由は簡単だ。最初の質問では、私たちは「車そのもののこと」を考えるが、二番目の
質問では、「車以外のいろいろなこと」が頭に浮かんでくるからだ。運転中の電話での
やりとりや、仕事中のある場面、渋滞や前を走る車の無茶な運転など、様々なことが
連想される。
つまり、「車のことだけを考えているうちは喜びを感じられるが、車の運転をしている
ことまで考えると、その喜びは失せてしまう」。前章で見てきた「フォーカシング・
イリュージョン」の影響である。
ひとつのモノに思考を集中させているあいだは、それが人生に与える影響を極端に過大
評価しがちである。同様に、何かを買って間もないうちはそれについてばかり考え、
そのモノに対して大きな喜びを感じる。
だが日常生活で使っているうちに、そのモノの存在は思考の海の奥深くに沈んでしまい、
喜びを感じる度合いはだんだんと小さくなっていく。購入するのが別荘でも、巨大プラ
ズマテレビでも、クリスチャン・ルブタンの新しい靴でも、同じことが起きる。
それに加えて、ぜいたくな買い物をした場合には、「反生産性」の問題もある(第8章参照)。
贅沢品には、隠れた副作用がある。目に見えないコストとでもいうべき、それを維持する
ための手間ひまやお金がかかるからだ。
この両方の要素を考慮に入れると、喜びの収支としては、結局損失となることもある。
大きな買い物をした場合の実質的な満足度は、結果的にマイナスになってしまうのだ。
信じられないって? では、ひとつ例を挙げてみよう。
□ 郊外の邸宅を手に入れたら、どれくらいうれしいか?
あなたは郊外にすばらしい邸宅を購入する。三か月間、あなたは一五もある部屋のひとつ
ひとつを楽しみ、邸宅内の隅々まで満喫する。
だが半年も経つと、そのすばらしさにも慣れてしまう。また以前のように日常の雑事に
飲み込まれ、あなたはもっと急を要することへの対処に追われるようになる。
それに、以前あなたが住んでいた「都心の四部屋の賃貸マンション」と「一五部屋ある
庭付きの邸宅」とでは色々と事情が違う。
たとえば、いまの邸宅では、清掃してくれる人や庭師が必要で、買い物は歩いては行けず、
以前は自転車で二○分だった通勤時間はいまや往復二時間。つまり、そのすばらしい邸宅を
購入してから、あなたの実質的な満足度には損失が出ている。「喜びの収支」はマイナス
なのである。
これは私が考えた例だが、現実に、私の周りには実例がいくつもある。
友人のひとりは、ヨットを持っている。いや、正確にいえば所有していた。
彼はちょうどヨットを手放したところなのだ。
それでも、ヨットを買った経験はどうやら無駄ではなかったらしい。
「ヨットを所有していて一番嬉しかったのは、買った日と手放した日だった」と彼は
言った。
おわかりいただけただろうか。よい人生を手にしたければ、モノを買うときには控えめ
にしたほうがいいのだ。
□ 「モノ」の喜びは消えるが、「経験」の喜びは残る
ところが、フォーカシング・イリュージョンの作用を受けない「高級品」も存在する。
それは、「経験」だ。すばらしい何かを経験すると、その喜びは、頭の中にも心の
中にもとどまりつづける。
だからあなたも、「モノ」を買うよりも、何かを「経験」することに投資をしたほうが
いい。たいていのことはさほどコストをかけずに経験できるし、「反生産性」も生まれ
ないという利点がある。よい本を読むこと、家族とのお出かけ、友人とのカードゲーム。
どれも大してお金はかからない。もちろん、世界旅行や宇宙への個人旅行など、大金を
払わなければ経験できないこともある。
でも、もしあなたに本当にそれだけのお金があるなら、そう言った経験のほうが、
ポルシェのコレクションにお金を使うよりずっと質のいい投資である。
ちなみに、覚えていたほうがいいのは、「仕事も経験のひとつ」だということ。
(中略)
たとえ大金は稼げても、喜びをもたらさない仕事に就くのは馬鹿げている。
稼いだ多額のお金を、何かを経験することにではなくモノに投資している場合はなお
さらだ。
ウォーレン・バフェットはこんなふうにいっている。「胃が痛くなるような人たちの
ために働くのは、お金のために結婚するようなものだ。どんな理由があろうとそれは
惨めな行為だが、すでに裕福な人間がそんなことをするのはまったく愚かとしかいい
ようがない」。
□ 一緒にいて喜びを感じる人を「結婚相手」にする
すばらしい経験を重ねることが、幸せな人生につながる。ついでにいえば、「結婚生活」
においても大事なのはやはり、その生活を通してよい経験が得られるかどうかだ。
もはや一緒にいても喜びを感じられないのに、ただ単に長く一緒にいたからという理由
で、あるいはほかの選択肢がないからという理由で、結婚生活を続けるのは意味がない。
(中略)
結論。私たちは「モノ」が与えてくれる幸せの効果を過大評価し、「経験」が与えて
くれる幸せの効果を過小評価している。
モノで得られる喜びは時間とともに消えていく。(中略) だが経験で得られる喜びは、
ずっと心に残りつづける
この続きは、次回に。
2024年10月15日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美