お問い合せ

Think clearly シンク・クリアリー ㉒

22. 思い出づくりよりも、いまを大切にしよう—人生はアルバムとは違うわけ

 

□ 人生における「一瞬」とは、何秒だろう?

 

(中略)

 

だが、「瞬間」とはどのくらいの長さを指すのだろう? 心理学者たちは、それは「約三

秒間」だという。それが、私たちが「現在」と感じる長さらしい。

つまり、私たちが「いま」体験していると感じるのは、約三秒の間に起きた出来事と

いうことになる。それ以上のスパンで起きることは、いくつもの「瞬間」の連続として

体験する。

そう考えていくと、睡眠時間を差し引くと、私たちは一日当たり約二万の「瞬間」を

体験し、平均寿命まで生きたとすると、一生のうちには約三億の「瞬間」を体験する

ことになる。

では、ひとつひとつの「瞬間」に脳内を流れていった膨大なイメージはどうなるのだろ

うか? 実は、それらのほとんどは完全に忘れ去られてしまう。

 

(中略)

 

そのとき何をしていようと、あなたはそれをもう覚えていない。私たちの記憶には、

体験したことの一○○万分の一も残らない。私たちは壮大な体験の無駄づかいをして

いる。

これが、あなたの「体験している私」だ。

 

□ 「あなたは幸せですか?」この質問からわかること

 

(中略)

 

あなたは幸せですか? 少し時間をかけて、この質問に答えてみてほしい。

 

さて、質問の答えは出ただろうか? 自分がどう感じているかを答えた場合には、あなた

が意見を求めたのは「体験している私」だ。

あなたは質問について考えていた「三秒間の自分」の精神状態を答えたことになる(あな

たがたったいま読んでいる文章を書いている私としては、それがポジティブな答えで

あることを祈るばかりだ)。

それに対して、ここ最近のあなたはどう感じているか、人生にどのくらい満足している

かといった、あなたの最近の気分についた場合には、あなたが意見を求めたのは「思い

出している私」ということになる。

まずいことに、この二人の「私」の意見はめったに一致しない。

 

(中略)

 

すると、夏休みに対する学生たちの幸福度は、「夏休みを終えた後」のほうが、

「夏休みを過ごしている最中」よりも高いという結果が出た。つまり、「体験して

いる私」の幸福度は、「思い出している私」の幸福度よりも低かったのだ。

もっともこの結果自体は驚くには値しないかもしれない。あなたもきっと、「思い出は

美化される」という言葉を耳にしたことがあるだろう。何ごともあとになって振り返っ

たほうがよく見えるのだ。

だが、この研究結果はもうひとつ、私たちが「思い出す力を信用してはいけない」とい

うことも示している。あとで振り返ったほうが幸福度が高かったのは、事実を間違って

記憶しているせいだと考えることもできるからだ。

 

□ ダニエル・カーネマンの「ピーク・エンドの法則」

 

人間がどのくらい大きな「記憶違い」をするものかは、次の実験結果を見ればよくわかる。

 

(中略)

 

いったいどうしてこのようなことが起きるのだろう?

ノーベル賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンはこうした現象に法則性を

発見し、「ピーク・エンドの法則」と名づけた。

何かを体験したとき、おもに私たちの記憶に残るのは、その出来事の一番印象深い

「ピーク」部分と、その「終わり」だけなのだ。それ以外のことは、ほぼ記憶に残ら

ない。

 

(中略)

 

体験する出来事の「長さ」さえ、脳の認識には影響を与えない。

 

(中略)

 

こうした時間の長さの誤認は、「持続の軽視」と呼ばれている。「ピーク・エンドの

法則」に次いで記憶に大きな影響をおよぼす、脳の勘違いである。

 

□ 私たちが「バンジージャンプ」に魅せられる理由

 

「体験している私」は無駄づかいが多いが(ほとんどすべての記憶を捨ててしまう)、

「思い出している私」には勘違いがとてつもなく多く、そのせいで私たちは間違った

判断を下しやすい。

私たちが「短期間」に集中して得られる喜びを過大評価し、「長期」にわたって

手に入れる静かで平穏な喜びを過大評価しがちなのも、「思い出している私」の

勘違いが原因だ。

 

(中略)

 

たとえば「極限を生きる」をテーマに出版されている書籍はたくさんある。それらの

本の著書は、ほぼ例外なく戦場レポーターや冒険登山家、起業家、パーフォーマンス・

アーティストといった人々。彼らは著書を通してこう訴える。

「短い人生、穏やかな喜びしか経験しないのではもったいない。生きている実感は、

極端な高さや極端な深さに挑んでこそ、得られものだ。静かで起伏のない日々など、

人生を無駄にしているようなものだ」と。

こうした本の著者やその読者たちは、「思い出している私」の落とし穴の犠牲になって

いる。

 

(中略)

 

ところで、「体験している私」と「思い出している私」とでは、どちらのほうが大事な

のだろう? 答えはもちろん、両方だ。

けれども私たちは、よい思い出をつくりたいと思うあまり、「思い出している私」の

ほうを重視してしまいがちだ。「現在」に目を向けるより、ついつい将来の思い出づく

りを意識した行動をしてしまう。だが、意識の向け方は、逆のほうが望ましい。

本当に充実した人生を送りたいか、それともアルバムだけを充実させたいか。

そのどちらがいいかを考えてみればわかるだろう。


 

この続きは、次回に。

 

2024年11月11日

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

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