お問い合せ

Think clearly シンク・クリアリー ㉓

23. 「現在」を楽しもう—「経験」は「記憶」よりも価値がある

 

□ 「人生最高の経験」に、いくらまでなら払うか?

 

あなたにとって、想像できる限りの「最高の経験」とはなんだろうか?

 

(中略)

 

そうした経験に、あなたはいくらまでなら払えるだろうか? 少し時間をかけて、あなた

が思う「最高の経験」と「金額のリミット」をメモしてほしい。

 

では今度は、その最高の経験をしても、何一つあなたの記憶には残らないとしたら、

あなたはいくら払うだろうか?

 

(中略)

 

では、「一日だけ」は覚えていられないとしたらどうだろうか? 「一年」覚えていられ

るとしたら? あるいは「一○年」覚えていられるとしたら、あなたはいくら払うだろうか?

 

残念ながらこのことについて調べた学術研究はまだない。だからこれは私が個人的に

尋ねてまわった結果でしかないのだが、どうやら「経験の価値」は、どのくらい記憶に

残るかで決まるらしい。長期預金のほうが利子がついて資産が増える銀行口座と同じ

ように。

ここでは「記憶の口座」と呼ぶことにしよう。

 

□ 記憶に残らなくても、その経験には価値がある

 

多くの人に聞く限り、「記憶の口座」に残る期間が、長ければ長いほど、その経験の

価値は上がっていく。

つまりもっとも価値のある経験は、「人生の最後まで記憶に残りつづけた(ポジティブ

な)経験」ということになる。残りの人生の半分まで記憶が残れば価値はその半分。

そして「記憶の口座」に残る期間が短くなればなるほど価値も下がり、まったく記憶に

残らなければ価値がなくなると感じられるようだ。

だが私に言わせれば、このとらえ方は実に馬鹿げている。何も経験しないより、すばら

しい何かを経験できたほうがいいに決まっているのではないか。どのくらい記憶に止ま

るかにかかわらず、それを経験しているあいだはすばらしい時間を過ごせるのだから!

そのうえあなたも私も、いずれにせよ死んでしまえば、記憶を持ちつつづけることは

できない。死んだ後には「あなた」も「私」ももう存在しないからだ。

死はあなたの記憶を消し去ってしまう。それなのに、死の瞬間まで記憶を保ちつづける

のがそんなに大事なのだろうか?

 

 (中略)

 

だが、覚えていないからといって、認知症の人たちがぞんざいに扱われていい理由には

ならない。なぜなら記憶には残らなくても、その瞬間は、認知症の人たちも確実に経験

しているからだ。

「体験している私」はその時点で起きていることをきちんと感じとっている。

記憶に残らないといって、その経験に価値がないことにはならないのだ。

同じことは、あなたの経験に対しても当てはまる。

 

□ 何かの「思い出」を掘り起こそうとしなくていい

 

「過去のすばらしい経験を思い返しているときに、人間が幸せを感じる」ことは、すで

に研究で明らかにされている。そのときをなつかしむ気持ちがあれば、感じる幸せは

さらに大きくなるらしい。

この研究結果を受けて、「意識的に、過去のよい思い出を思い返す時間をつくるべき

だ」と結論づける心理学者もいるほどだ。ずいぶんと思い切った結論だが、その成果の

ほどは疑わしい。わざわざ過去を思い出す時間をつくるくらいなら、その時間を、いま

このときにすばらしい何かを経験するために使ったほうがいいではないか。

いまこの時間を意識的に楽しむ労力が、昔の記憶を思い返す労力よりも大きいとは私に

は思えない。むしろその逆ではないだろうか。それに、靄のかかった古い記憶よりも、

いまこの瞬間に経験することのほうが力強く、鮮明で、生き生きと感じられるに決まっ

ている。

 

(中略)

 

何かの思い出を掘り起こそうとするより、そうした時間を意識して体で感じるように

すればいい。いずれにせよ、過去を振り返ったところで、たいした記憶が掘り起こせる

わけではない。

 

(中略)

 

私たちは、前に観た映画をもう一度観るような感覚で過去を思い出せると考えがちだが、

記憶はもっと直線的で、味気なく、抽象的だ。そのうえ記憶違いも多く、一部はあとか

ら継ぎ足された創作であると思えば、結局、記憶なんてそれほど意味あるものではない。

私たちは「記憶の価値」を過大評価し、「いまの経験の価値」を過小評価している。

 

□ 夕日の写真を撮るより、夕日そのものを楽しもう

 

私たちのこうした「偏った者の見方」を正すための動きが生まれたのは、一九六○年代

になってからのことである。「いま経験していること」に注意を向ける思考に光が当た

るようになったのだ。

 

(中略)

 

一九七一年には、ハーバード大学の教授職を追われた離地ヤード・アルパート(インド

でのグルとしての名前、ラム・ダスのほうが有名だが)が著した、「いま、ここにいる

こと」という意味のタイトルの本、『ビー・ヒア・ナウ—-心の扉をひらく本』がベス

トセラーとなった。いま現在の経験に価値を見出す人生観を表すのに、これ以上ふさわ

しいタイトルはないだろう。

 

(中略)

 

結論。私たちの脳は、私たちが意識しないままに、「過去、現在、未来」と、時間の

三つのレベルすべてにかかわっている。難しいのは、どのレベルに焦点を定めるかだ。

私は折に触れて「長期的な計画を立てること」をおすすめしたい。そして計画ができた

ら、そのうちの「いま」だけに完全に意識を集中させよう。「未来の思い出」より、

「いま現在の経験」を存分に楽しもう。夕日を写真に撮るより、夕日そのものを楽しん

だほうがいい。

すばらしい瞬間を積み重ねてできた人生は、たとえそれらの記憶が残らなくてもすばら

しい人生に違いない。

経験を「記憶の口座」への入金作業にするのはやめよう。人生最後の日にはその口座は

どのみち消えてしまうのだから。


 

この続きは、次回に。

 

2024年11月15日

株式会社シニアイノベーション

代表取締役 齊藤 弘美

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