Think clearly シンク・クリアー ㊶-1
41. 自己憐憫に浸るのはやめよう—過去をほじくり返すことが無意味なわけ
○ 憐憫(れんびん)
哀れに思い同情すること。
□ 道化師カニオが歌うアリア「衣装をつけろ」
旅まわりの一座で道化師を演じるカニオは、自分が出演する芝居の幕が開く前に、この
世の誰よりも愛する彼の美しい妻が浮気をしていることを知る。
カニオはいま、芝居小屋の楽屋にひとりぽつんと座り、流れる涙と格闘しながらもなん
とか道化師の化粧をしようとしているところだ。
芝居小屋では顧客たちが、すでに彼の登場をいまかいまかと待ち構えている。数分後に
は道化師として舞台にあがらなければなれない。「ショー・マスト・ゴー・オン(何が
あってもショーは続けなくてはならない)」はショービジネスの鉄則だからだ。
カニオは化粧をした顔に涙を流しながら、こんな状況でも道化を演じなければならない
自分の境遇を嘆き、悲しくも美しいアリア「衣装をつけろ」を歌う。
——一八九二年初演のレオンカヴァッロによるオペラ「道化師」の第一幕は、このよ
うにして幕を閉じる。
この「衣装をつけろ」は、これまで作曲されたアリアの中でも特に聴く者の胸を揺さ
ぶる一曲で、エンリコ・カルーソーも、プラシド・ドミンゴも、ホセ・カレーラスも、
世界に名だたるテノール歌手はみんな、情感たっぷりにこの曲を歌いあげている。
ためしに、ユーチューブで「パヴァロッティ 衣装をつけろ」と検索してみてほしい。
カニオを演じるパヴァロッティが自己憐憫にくれながら歌うこの曲を聞くと、あなたも
胸が締めつけられるに違いない。
第二幕(最終章でもある)では、オペラにありがちな刃傷沙汰が起こり、妻とその愛人は
カニオに刺し殺される。
この作品の事実上のクライマックスであるアリア以降は、このオペラはそれほど感動的
ではなくなってしまうのだか、それでも初演以来、涙を流す道化師のイメージは私たち
の文化にすっかり定着し、特にポップカルチャーでは確固とした地位を確立している。
スティービー・ワンダー作曲の「涙のクラウン」という曲がその例だ。やや複雑な音楽
的要素と、アリアの感傷的要素を含んだこの曲は、一九六○年代最大のヒットシングル
となった。
○ 「自分はかわいそう」と思うのは大きな間違いのもと
「衣装をつけろ」を聴いて目をうるませる私たちだが、カニオの行動は、長い目で見れ
ばとても建設的とはいえない。
人生で災難が降りかかったときに「自己憐憫」に浸ったところで何もならない。
それで何かが変わるわけではない。自分のことをかわいそうだと思っても何ら意味がない。
自己憐憫は感情の渦のような者で、長くそこで泳いでいたらどんどん深みにはまるだけ。
そして渦に巻き込まれると、あっという間に妄想のとりこになってしまう。全人類ある
いは全世界が徒党を組んで、自分に敵対しているように感じられるのだ。
この負のスパイラルの犠牲になるのは当人だけではない。周りの人たちにも迷惑がかかり、
当然ながら彼らは妄想にとりつかれた人物とは距離を置くようになる。
私は、自分が少しでも自己憐憫に陥りそうになっているのを感じると、すぐにその危険な
渦から抜け出す努力をしている。アメリカのことわざに「自分が穴の中にいるとわかっ
たら、掘るのをやめろ」というのがあるが、それを忠実に守っているのだ。
投資家のチャーリー・マンガーは、ある言葉が印刷された小さなカードの山を持ち歩い
ている友人の話をしている。少しでも自己憐憫に陥っている人物に会うと、その友人は
芝居がかった仕草でその山の一番上にあるカードを取り上げて、その人に手渡すのだと
いう。
カードに印刷されているのはこんな言葉だ。「あなたのお話には深く同情いたします。
あなたほど憐れな人を私はほかに知りません」。
少々手厳しくはあるものの、自己憐憫に浸る人をたしなめるためのユーモアあふれる
斬新な方法である。
この話でマンガーが示そうとしているように、「自己憐憫」はおそろしく間違った感情だ。
この続きは、次回に。
2025年1月19日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美