Think clearly シンク・クリアー ㊷-1
42. 世界の不公正さを受け入れよう—自分の日常生活に意識を集中する
□ あなたは、どちらのミステリを読みたいか?
ここに、二種類のミステリがある。ひとつ目では、緊迫感あふれる捜査の後、刑事が
ついに殺人犯を突き止めて、逮捕する。殺人犯は法廷に引き出され、裁かれる。
ふたつ目のほうでは、刑事は同じように緊迫感あふれる捜査を展開するが、殺人犯は
つかまらない。刑事はその事件の捜査を終了し、次の事件に専念する。
—–あなたが読者として、あるいは視聴者として満足できるのは、どちらのミステリ
だろう?
もちろん、ひとつ目に違いない。私たちは、「社会は公正であってほしい」と強く
願っているので、不当な行為が放置されたままでは、釈然としないものが残って
しまうのだ。
だが、その公正さを願う気持ちは、ただの願望では終わらない。私たちは公正さが
実現することを期待する。いますぐ実現しなくても、もっと後でもかまわない。
ほとんどの人は、心の奥深いところで、「世界は公正にできている」と信じている。
よい行いは報われ、悪い行いは罰せられる。悪いことをすればいつかはその償いをしな
ければならず、人を殺せば刑務所に入るのが当然の帰結と考えている。
しかし、現実はそううまくいくものではない。現実の世界は「公正さ」を欠くどころか、
かなり「不公正」だ。この不快な現実に、どのように向き合っていけばいいのだろうか?
私はこう考えている。世界の「不公正」さは、現実としてそのまま受け入れて、冷静に
耐えたほうがいいと。そうすれば、人生を歩むうえで、何度も失望せずにすむからだ。
□ 『ヨブ記』が私たちに教えてくれること
聖書の物語の中でも、もっとも強烈なもののひとつに『ヨブ記』がある。
ヨブは、人望が厚く、信心深い高潔な人物で、順風満帆の人生を送っている。財産と
一○人の優秀な子どもたちに恵まれ、結婚生活も完璧という、誰もがうらやむ非の打ち
どころのない生活を送る。
しかしあるとき、サタンはかみにこう持ちかける。「ヨブが信仰に篤いのも無理はあり
ません。彼はあれほど申し分のない人生を手に入れているのですから。でももし彼の
人生がうまくいかなくなれば、彼の信仰心はあっという間に揺らいでしまうでしょう」。
それを聞いて感情を害した神は、サタンの言い分を否定しようと、ヨブの人生を幾らか
混乱させる許可をサタンに与える。
すると、サタンはヨブから全財産を一気に取り上げただけではなく、ヨブの七人の息子
と三人の娘すべてを殺してしまう。彼の召使いたちも殺され、ついにはヨブ自身も病に
襲われる。ヨブの体は頭のてっぺんから足の裏まで、痛みをともなう腫れ物に襲われる。
ヨブは人から嘲笑され、のけ者にされる。
焼き払われた自宅の灰の中に、疲れ切って座り込むヨブ。彼の妻は、「神をさげすみ、
そして死になさい」と忠告する。
だが、それでもヨブは、神を崇めるのを止めようとしなかった。痛みから逃れるために
死にたいのはやまやまだったが、そんなことを神が許すはずがない。
最後には、つむじ風がごうごう音をたてながら、彼に近づいてくる。その中には神が
潜んでいて、ヨブにこう言い放つ。「私のすることは人間にとっては不可解であり、
これからも常に不可解でありつづけるだろう。お前たち人間がいくら努力しようと、
私の本心を見抜くことはできない」。
ヨブは試練を耐え抜き、無慈悲きわまりない罰を与えられても神に疑念を抱かなかった
ために、健康も、富も、子どもたちも、失ったものすべてを取り戻す。
神は、ヨブにあふれるほどの幸福を与え、ヨブは天寿をまっとうする。
この続きは、次回に。
2025年1月23日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美