「アメリカはなぜ日本より豊かなのか?」最終章
おわりに
私とアメリカとの関わりは、1945年3月10日の東京大空襲に始まる。
私の家族は、アメリカ空軍B29爆撃機編隊の焼夷弾攻撃によって家を焼かれ、近くの
小学校の地下防空壕に逃げ込んだ。そして、生き延びた。この防空壕では多くの人が
窒息死したので、私たち家族全員が助かったのは、奇跡以外の何物でもない。
その3カ月後、私の父は、フィリピン・ミンダナオ島の近海で、乗っていた輸送船が
アメリカ空軍の空襲を受けて沈没し、戦死した(という通知を受けたのだが、実際の
状況がどうだったのかは、不明のままだ)。
アメリカ軍によって父を殺され、私自身が殺されかけたのだから、アメリカに対して
強い憎しみと恨みを持って当然だ。
しかし、私は、そうした感情を抱いたことはなかった。アメリカの爆撃機が怖いという
気持ちはその後も残ったが、恨みはむしろ、当時の日本の指導者たちに対して向けられた。
何の防御手段も持たない市民を凶暴な爆撃機攻撃の前にさらけだし、「バケツリレーで
火災を食い止めよ」と命じていた無責任な指導者たちに。そして、ドイツ降伏後もなお、
無謀な戦争を何の展望もなく惰性的に続けた無能な指導者たちに対して向けられた。
この気持ちは、いまでも変わらない。
私は、大学を卒業後、アメリカの財団から奨学金を得て、アメリカに留学できた。
授業料も免除された。そして、そうした助けがなければ決して得られなかった学位を
手にすることができた。それは、私の人生を大きく変えた。
私のアメリカに対する気持ちの中でも、これに対する感謝のほうが強い。
本書の「はじめに」で述べたように、私はアメリカに着いたその日から、「アメリカは
なぜ豊かなのか?」という問いにつかれた。そうせざるをえないほど、日米の豊かさの
差は大きかったのだ。そして、その問題を、それから55年間、考え続けた。
豊かさの違いをもたらすのは、国民一人ひとりの生まれながらの能力の差ではなく、
自然条件の違いでもない。そうではなく、国や政治や企業などの仕組みの違いだ、と
考えざるをえない。では、仕組みのどこがどのように違うのか?
それに対する答えが本書だ。この答え(とくに、第2章と第5、6、7章)は、日本の産業
政策や金融政策、そして社会保障政策などを重要な方向づけを与えると考えている。
そして私は、日本の政策が、今の状態から脱却することを強く望んでいる。
しかし問題は、果たして、日本の政治や行政や企業が、実際にそのような転換を行える
かどうかだ。正直に言えば、これについて楽観的には到底なれない。
企業が政府からの補助を求め、政治家がそこに介入するという構造も、金融政策が消費
者を無視して企業のために円安と低金利を続けることも、政治家がつぎの選挙のことし
か考えないことも、そして野党が全く頼りにならないことも、容易に変わりそうにない。
日本の構造を変えるには、日本人一人ひとりの意識が変わることが必要だ。
本書がそのために少しでも貢献できることを、私は心から望んでいる。
この書籍は、私にとっては、大変、難しく感じました。
しかし、現在の日米に関しての理解度が深まり、大いに参考になりました。
トランプ政権が現在、実施している関税問題に日本はどのような対応を行うのか、
日米関係が今後、どのような方向に向かうのか、米中関係がどのような方向に向かうのか、
不安材料が多くあります。
2025年4月30日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美