知識ゼロからのイノベーション入門-フェイスブック⑥
第13話 価値観の違う人とでは面白い会社はつくれない。
・ 排除もCEOの仕事の1つ
ザッカーバーグに影響を与えたスティーブ・ジョブズは、「CEOの大切な役目の1つは、
とびきりの人材をスカウトすることと、社内の落ちこぼれを排除していくことだ」と言った。
ザッカーバーグの師匠役マーク・アンドリーセンは「働かない人間がいたら、ためらわず
更迭するのがCEOの仕事だ。急成長中の会社が常に正しい人材だけを雇うのは不可能。
選択を間違えた場合はすぐに処置するのが最善の策だ」と言った。
・ 辞めさせるときはためらわない
若くて創造性あふれる人材を望んだが、採用は難しかった。
そこでザッカーバーグは、新卒者よりも中退して入社するくらいがちょうどいいとも考え始めた。
また、幹部のスカウトにも力をいれるようになった。
しかし、せっかくスカウトした人材もザッカーバーグと対立して辞めることが少なくなかった。
幹部が次々と入れ替わる様子は、「止まらない回転ドア」とも言われた。
スカウトされた幹部とザッカーバーグの間には価値観の違いがあったのだ。
幹部はいかにして手っ取り早く儲けるかを重視していた。
企業が成長するには正しい企業文化が必要だ。
人の採用も退社も大変な試練だったが、価値観にこだわり、躊躇なく人を辞めさせたから
フェイスブックは成長したといえる。
第14話 自己実現のためには「ノー」を言い続ける。
・ 自己実現のためには「ノー」を言い続ける。
ある人が「君はフェイスブックを何かの実現手段としているのか」と聞いた時も、
ザッカーバーグの答えは明快だった。
「いや。フェイスブックをつくっていくのが僕にとってはすべてだ」
大切なのは大金を手にすることではない。
フェイスブックという最高のアイデアをどこまで育てられるかを自分で確かめたいのだ。
第15話 イノベーションは長い旅。変化そのものを楽しむ。
・ 株式公開は常にいいことか?
フェイスブックにはザッカーバーグの「世界にもっとも透明性を加える」という理想が
色濃く反映されている。
情報の共有を広げ、人々が実名でつながり、信頼のネットワークが築かれれば、
世界の有り方が変わり、理想が実現するかもしれない。
こうした理想があるだけに、ザッカーバーグは売上や利益を上げる方法をなかなか考えなかったし、
株式公開も急がなかった。
多くの起業家にとって株式公開は到達点だが、ザッカーバーグには不安要素だった。
・ 旅はまだ1%が終わっただけ
不安の1つ目は、日々の株価の動きに追い回され、社会的使命の達成が後回しになってしまう
恐れがあることだ。
2つ目は、社員の考え方が変わってしまうことだ。大金を手にすると社会的使命よりも
金儲けに喜びを見出すようになってしまう。
3つ目は、たいていの企業で株式公開は社員や幹部たちの馬鹿騒ぎを引き起こしていることだ。
仕事への集中力が低下する。
ザッカーバーグは株式公開を前に「我々が今やっていることは、まで始まりにすぎない。
この旅はまだ1%が終わっただけだ」と訴えた。
社員たちが自己満足に陥ることは何としても避けたかったのだ。
さらに、年俸1ドルのCEOとなって、持てる資産の大半を慈善活動に寄 付する
「ギビング・プレッジ」にも署名した。
得た富を自分のためにではなく、世界の誰かのために使うということだ。
改革の目的は改革を続け、広げることにあるのかもしれない。
◾️日本のイノベーション4◾️世界のカップヌードル
〇 感動は原動力きになる
日清食品創業者の安藤百福氏は、世界の食文化にイノベーションを起こした人物だ。
戦後の大阪の闇市で、ラーメンの屋台に並ぶ人々を見て、「一杯のラーメンに人々は
こんなに努力するのだ」と感動した。
その思いが原動力となり、「家庭でお湯があればすぐに食べられるラーメンをつくりたい」と
真剣に考えるようなったのだ。
数々の試行錯誤を経て「チキンラーメン」ができた時、安藤氏は48歳になっていたが、
努力のかいあってチキンラーメンは日本で爆発的にヒットする。
〇 2番目のイノベーションで世界へ
1966年、チキンラーメンを世界へ広めようと米国に出張した安藤氏は、ある光景を目にした。
現地人がチキンラーメンを2つに割り、紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べ始めたのだ。
確かに欧米人は丼など使わない。
即席麺を世界商品にするには麺を最初からカップに入れてフォークで食べられるようにすればいい。
これがカップヌードルのヒントになった。
1971年に発売されてカップヌードルはやがて米国でも発売され、やがて日本生まれの
世界食として広がることとなった。
次回は、 第5章 [アップル]
スティーブ・ジョブズのビジョン型イノベーション
—-要は「夢」だ
この続きは、次回に。