成功の要諦 -8
第四講 人生の目的—人は何のために生きるのか(2001年7月17日)
月刊『致知』2002年11月号に掲載された、著者が塾長を務める若手経営者向けの経営塾「盛和塾」での
講演です。
前年のITバブル崩壊から不況が続くなか、景気変動に対して経営者はどのような考え方をもって
向き合うべきかということから説き起こし、「人は何のために生きるのか」という人生の目的を
説いています。
一人ひとりが「運命」を持って生まれてくる
我々は、生まれたときから「運命」を持っているということです。
その大波の中に、個人の運命という船は漂っています。
ですから、個人の運命の上がり下がりがその大きなうねりと重なって、大きく上昇することも
あれば、一気に落ち込むこともある。
個人の運命の上昇が、大きな運命のうねりの底と重なったり、あるいはその逆になったりして、
あまり変化が起きないこともある。
同じ不景気でも、人によってさまざまな現れ方をするのはそのためです。
運命を否定して何の益ありや
人生にはもって生まれた運命がある。まずこのことから納得しなければなりません。
地球や国家に加え、自分の人生にも運命があるということを、ぜひ理性で肯定していただきたいと
思います。
私は、運命があるということを理性で肯定すべきだと思います。
運命を否定してみても何の益もありません。
それどころか、運命を肯定することによってはるかに人生を理解しやすくなりますし、
人生を間違いなく生きる術を会得することができます。
運命を否定して何の益ありやと思うのです。
益がないどころか、むしろ害があるとさえ思っています。
運命の存在を理性で肯定する必要がある、と私は思っているのです。
結果がでるには時間がかかる
このように、人生を構成する要素としてまず運命があります。これが人生を貫く縦軸として存在し、
人生は、運命という縦軸に沿って流れています。
同時に、人生にはもう一つの要素が存在し、運命という縦軸に対して横軸を構成しています。
それが「因果応報の法則」です。
因果応報の法則とは、善いことをすればよい結果が生じ、悪いことをすれば悪い結果が
生まれる。善因は善果を生み、悪因は悪果を生むという法則のことです。
善因悪因の「因」とは、自分が生きている間に思ったこと、行ったことです。
自分自身が思い、考え、実行すること、それらが因、つまり原因となります。
思ったり、考えるだけで原因になるのか、と疑問に思われる方もいるかもしれません。
また、単に思っただけでしかないと、我々は軽く考えがちです。
しかし、思うということは決して軽いものではありません。
恨み、つらみなどを考えただけで、それが原因をつくってしまいます。
そして、原因は必ず「結果」を生みます。原因が原因のままで残り続けることもありません。
このことをお釈迦さまは、「縁によって果が生じる」とおっしゃっています。
思いと行い、つまり思念、行為は業(カルマ)をつくります。
業、カルマとは、先ほど述べた原因のことです。
悪いことを思い、悪いことをすれば悪い結果が生まれる。これが因果応報の法則なのです。
因果応報の法則は、結果が出るまでには時間がかかることがあります。
人生を長いスパンで見ると、大体つじつまが合っています。
この続きは、次回に。