ドラッカーのマネジメントがマンガで3時間でわかる本㉚
57 組織のマネジメントには限界がある
—人気取りでは身を滅ぼす
「限界を知ることが必要だ」
「マネジメント」は組織を機能させることだが、マネジメントにも「限界」がある。
組織の利益や機能にも限界があるのだ。
リーダーの意思決定はこの限界を知らなければならない。
「意思決定の限界」について「合理的説明」ができ、それを守ることができなくてはならない。
人間は調子づくと世間の賞賛や人気のために報酬をもらっているのではない。
成果をあげ責任を果たすためだ。限界を知ろうとしない人はおろかである。
「価値に合わないことはするな」
組織の価値体系にも限界がある。
雇用者の熟練や知識を変えることができる。
ところが価値観は変えられない。
美容院は患者の治療が主な使命だ。
病院は限界をこえて政治的なことやスポーツや芸術などの社会事業や、権力に関わっては
ならないのは当然のことだ。
限界をこえた仕事は引受けない。それが正しい「マネジメント」である。
「責任にも限界がある」
責任にも限界がある。
デュポンという会社は、基礎的な原材料を提供する企業だが、インフレ下でも価格を下げ
企業の責任を果たした。のちに黒人や学校に対して社会的責任を果たしていないことがあると
訴えられた。デュポンは「責任にも限界がある」といって対決し、世間は納得した。
58 知りながら外をなすな
—「プロの倫理」を持つ
「知りながら害をなす」のは故意犯だ
かつて未成熟の社会では、社会的貢献度が高い会社の「過失」は容認された。
いや「故意」すらも許容された。しかし成熟社会の今日では、「企業や企業人のもたらす社会への
害はいっさて許容されない」。ドラッカーは『知りながら害をなすな』と戒めている。
「知りながら害をなすな」という言葉は、もともとギリシャの名医ヒポクラテスの言葉である。
つまり、「プロフェッョナルの倫理」をそう表現したのだ。
企業は常に社会的責任や社会的貢献を意識していなければならない。
「自立性を持て」
「プロフェッショナルは自立性を保たなくてはならない」のだ。
プロは顧客によって行動を変えてはいけない。
企業は私的な利害で動くものではないのだ。
正しい知識と性格な判断により自立性を持たなくてはいけない。
定見なく政治やイデオロギーに左右される経営はおろかである。
「自ら不備は公表する」
アメリカではリコールや製品の法律的な罰則は厳しい。
製品に不備があれば訴えられる。
まさに「知りながら害をなすことは罰せられる」。
過失であれ、故意であれ害があれば手段を問わず消費者に自ら公表すべきである。
それが「プロフェッショナルの倫理」というものである。
コラムドラッカーゆかりの人物7《シュンペーター》
シュンペーターは思想の根幹だ
ドラッカーの父アドルフは多くの経済人の面倒をみていた。
金曜の夜には、彼らをまねいてパーティーを開く。
その客の1人にヨーゼフ・シュンペーターがいた。
シュンペーターが唱えたイノベーションの思想は、ドラッカーの考えの基礎になる。
「創造的破壊」や「連続的革新」だ。
ドイツの思想家マルクスが死んだころ、シュンペーターはオーストリアで生まれた。
ケインズ以来の最大の経済学者といわれたが、そのわりにはぱっとしない。
1930年代、「資本主義はその成功ゆえに滅び、40年か50年のうちに社会主義になる」といった。
資本主義では「革新」こそ、もっとも大切なことだ。
革新がなければ市場に活力がなくなり、資本主義は衰退する。
資本主義の衰退とは何か? 資本家の利潤は、つまるところゼロに近付き、労働者の収入は
辛うじて食べられるところまで減少する。
さらに食料は直線的にしか増えないのに、人口は爆発的(等級肥大的)に増えるから、食料不足となる。
労働者の賃金が押さえら、ワーキングプアが多くなる。
ワーキングプアとは、正規労働者(正社員)と同じようにフルタイムで働いても貧困から
抜け出せない就業者。
アメリカ合衆国でいわれ始めたことばで、「働く貧困層」「働く貧者」と訳される。
資本主義の先進国にみられる。
ゆえに爆発的に経済を発展させないと、資本主義は滅びるというものだ。
1983年、ドラッカーはケインズ生誕百年を記念してフォーブス誌に『シュンペーターとケインズ』を
寄稿している。
この続きは、次回に。