お問い合せ

人を動かす経営 松下幸之助 ㉖

決めるのはだれか松下政経塾と不確実性

 

今日、不確実性と確実性とかいうことがとりざたされているが、不確実性とはいったいどういうこと

なのか。また、どうして不確実性ということが問題になるのか。

お互い人間は、確実性をのぞむ場合が多いと思うが、それを実現することは、人間にとってどれほど

困難なことなのであろうか。

先般、あの『不確実性の時代』という本を出したアメリカのハーバード大学のガルブレイスさんが

私を訪ねてこられた。

話の中で、ガルブレイスさんは、私が松下政経塾をつくるという話にだいへん興味を示された。

なぜ興味をもったのかというと、ハーバード大学でも、ふつうの大学の課程でなく、特別な内容の

課程を組んで研修している。それと松下政経塾が似ているというのである。

 

※   省略致しますので、購読にてお願い致します。

 

ところで、不確実性の時代ということについて、私は次のように考えている。

今の世の中は、確かに見通しがつかず、どういう変化が、いつどういうような姿でおこってくるか

わからない。だから今日は未来を考えることができない。

未来はまっくらである。その中にあってお互いの仕事をしていかなければならない。

そこに不確実という問題が出てくる、という。これはこれで、一面そのとおりだと思う。

しかし私は、それに対して全面的には肯定しない。それはなぜか。どうしてか。

私は、確実性とか不確実性というのは、いったい誰が決めるのか、ということが問題だと思うのである。

すなわち、確実であるとか不確実であるということは、天然自然の減少なのか、それとも人間がそう

決めるものか、ということである。

私は、それは基本的にいって人間が決めるものだと思う。確実にするもしないも人間しだい。

すべてお互い人間が意のままに決定する問題だと思うのである。

こういうふうにやったらこうなるということは、神様が決定するのではない。

だれが決定するのでもない。われわれ人間が心に描いてそれを実行すればいい。

そうすれば確実性がでてくる。確実にそうなるからである。

松下電器の過去六十年の経営は、いってみれば私がその時どきに浮かぶカンというか、インスピレー

ションで進めてきた面も少なくない。

そして、おおむね、自分の胸に描いたとおりに会社の業績は進展してきた。これは、今後もそうある

べきだと考えている。

なぜ、そうなったのか。考えたとおりのことが、なぜおおむね確実に実現したのか。

これは、見方はいろいろあると思う。けれども、一つにはやはり、実現するようにしたからである。

いくらよいことを考えても、考えただけで何もしないでいたのでは、何ら実現してこない。

実現するためには、やはり当然なすべきことがいろいろある。問題もおこってくる。

それらを一つひとつ、根気よく処理していく。そうして、いってみれば問題がなくなるまで、し残した

ことがなくなるまで、努力を重ねる。

もちろん、それはなみたいていの努力ではできない。ともすれば途中でくじけそうになる気持ちを

ひきしめ、勇気をふるいおこして取り組んでいくことが必要である。そのようにして、根気よく、

うまずたゆまず努力を続けていったならば、やがて事は成っていく。

考えたとおりのことが実現もしてくる。そういうことである。

そういうひたむきな努力を続けるかどうか、それはまさしく人間自身の問題である。

そういう意味で、確実にするか不確実にするも、これはすべて人間が決める、こういう見方もできる

のではなかろうか。

とはいっても、松下政経塾に本当にいい素質を持った人が集まってくるかどうか、そしてまた、

二十一世紀の日本を支えるにふさわしいような人材が育っていくかどうか、これは実際いって

わからない。不確実といえば、誠に不確実である。けれども、それを確実にするための努力は、これは

徹底的にやる必要があると思う。そして、長い目でみればそれは必ず確実なものにしていくことも

できるのではないか、また二十一世紀の日本のためにもぜひそうなってほしい、このように思って

いるのである。

 

 

この続きは、次回に。

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