お問い合せ

人を動かす経営 松下幸之助 ㉗

部下の提案を活かすとにかく一度やらせてみる

 

〝部下は自分よりも経験が浅く、視野も狭い。また知識も少なく、見識も低い。だから、あらゆる点

から見て、部下よりも自分の方がすぐれている。したがって、事を判断する場合は、なんといっても

自分が最終的に判断し、決定を下さいなければならない。それが一番いい。それが最もあやまちを

少なくする道である。〟

上司がこのような考え方、態度をもつことは、これはこれで一面当然であろう。

たしかに、そういうことがいえる場合も多いと思う。

事実としてまちがいないかもしれない。部長とか課長とかいった立場に立っている人たちは、日々

最善を尽くして一生懸命働いている。

その部や課の働きについては全責任をもっている。だから、上司である自分の考えにあやまちがない

という信念に立っているということは、非常に大事なことである。立派なことである。

ただ、問題は、そういう考えにこり固まってはいけない、ということである。

硬直化してはいけない、とらわれてはいけない、ということである。

自分の考えなり方針が正しいと信じることはよい。しかし、時にはそれに反するような意見や提案を

部下がするかもしれない。

そういう場合にはどうするか。その意見や提案のアラさがしをして、それをくさし、否定し、ボツに

してしまうか。そうすることもできる。できるけれども、それでは何もプラスにも結びつかないで

あろう。やはり、その部下の意見や提案については、静かに十二分に検討吟味して、そのよい点は

直ちに採用する、ということでなくてはならないと思う。

よいものはどんどん取り入れればよいのである。

それをせずに、単にくさしてボツにしていたのでは、結局、その部、その課の仕事は、部長、課長

一人の考えの範囲にとどまってしまう。いかにその部下に人材を擁していたとしても、その部長、

課長の見識だけの範囲にとどまってしまう。これでは、よりよい仕事はできないし、また部下たちも、

さらによき人材に育っていくことはむずかしくなる。だから、よき人材を育て、部下を活かし、より

よき仕事を展開していこうと思うならば、部下の意見に静かに耳を傾け、その中から、なるほどそう

いう考えもあったのだな、ということを気づくような柔軟さが必要になってくる。

実際いって、多数の部下の中には、ものによってはその部長なり課長より以上にすぐれた意見、考えを

もっている人もあるかもわからない。それを活かさないでいたのではマイナスになる。

だから、部下が大いに意見を言うように、提案をもってくるように、常に奨励することが大事なので

ある。そうしてこそ、部下のよき考えも活かされ、その部なり課の成果も向上し、また部下たちもよき

人材に育っていくのである。

ところが、人間というものは、なかなかむずかしいもので、部下から良い提案を受けても、それを

そのまま採用するのは上司としての権威にかかわるような気がする場合もある。

部下の提案にしたがって事を進めていくのでは、自分の存在意義がない、というわけである。

しかし、これはそう考えなくてもいいと思う。いかに部下の提案によって事を進めていくにしても、

それを採用して実際によき成果に結びつける事は、それ以上に大切なことであろう。

そしてそれで事がスムーズに進んでよき成果がもたらされるのである。また、見方によれば、そういう

ところにこそ、部長や課長の本当の職責があるのではなかろうか。

だから、まず、上司は部下がいろいろ提案しやすいような態度をとる。

そして提案を受けた場合には、それほど感心すべきものではなくても、別に大きなまちがいもなかろ

うという場合には、「まあ君、それでやってみたまえ」というような指示を与えることである。

絶対にまちがいのないことだけを採用し、どうかなと思うことは採用しないということに終始すれば、

だんだん部下からの提案は少なくなる。部下の創意工夫は低調になってくる。

そしてそれが習い性となって、部下がみんな硬直化したような人間になってしまう。

これではよき人材の育成どころではない。マイナスの育成である。

だから、可もないが不可もないというような場合には、部下の提案は、「結構だ。やってみたまえ。

私もよくわからないけれども、君がそこまで言うのだったら、君の思うとおり一ぺんやってみた

まえ」というような態度が、一面きわめて大切だと思うのである。

私自身の場合を考えてみても、もちろん反対すべき時には反対したと思うが、どちらかわからない、

よいか悪いかわからない、というような場合には、大体において私は賛成したのではないかと思う。

「やってみないとわからないから、まあ一度やってみたまえ」というようにしてきたと思う。

それで、松下電器の社員の人たちは、それぞれ縦横無尽というような姿で仕事をしてきたのではない

かと思う。

世間には、多くのすぐれた人材を擁する会社もある。しかし、そういう会社が非常な発展をとげて

いるかというと、必ずしもそうとは限らない。

その原因はいろいろあろうが、やはり一つには、命これに従うというような姿では、たとえよき人材が

いても仕事はできにくいわけである。やはり、人材には自由闊達に仕事をしてもらわなければならない。

自由に意見を出し、提案をしてもらわなければならない。

そこから、よりよい仕事が生まれ、好ましい成果ももたらされ、またよき人材が育っていくのである。

 

 

この続きは、次回に。

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