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シェア < 共有 > からビジネスを生みだす新戦略 ⑦

□ 「私」世代から「みんな」世代へ

 

✔︎  アダム・スミス、そしてのちにミルトン・フリードマンの二人は、自己利益の追求が社会全体の

     利益につながると信じた。

 

     第二章では、この信念がわずか数世代の間に、技術的な創意工夫というどちらかと

   いえば健全な話から、ブランドや製品やサービスをとおした自己のアイデンティティの

     あくなき追求へと形を変え、ついにはとどまるところを知らない空極の消費主義の

     システムになってゆく過程を振り返った。

 

     1950年代、つまりハイパー消費主義の幕が上がる頃には、人々はまず何より第一に、

     消費者として自分を意識し、市民としての意識は二の次になっていた。

     お互いに助け合うより企業に頼る方が身のためだと思うようになったのだ。

      集団やコミュニティの価値観よりも、消費者としての自律や「何をおいてもまず私」と

      いう心理が先だった。

     「自分のものは自分のもの」として、完全に自己完結していることが空極のゴールだと

       いう誤ったコンセプトが、あたかも個性と自立の尊重のように唱えられた。

 

       私たちはこの50年ほど続いた消費の「トランス」状態から今ようやく目覚めつつある。

       この変化の根底にあるのは、相互に結びついた二つの現象だ。

       ひとつは価値観の転換。経済成長は頭打ちなのに、リソースは無限であるかのように

    消費し続けていてはうまくいくはずがないという消費者意識の広がりだ。

       だからこそ、人々は「買ったもの」をより有効に活用し、さらに重要なことに、「買わない

      もの」からも何かを得ようとしている。

      また同時に、ものを追い求め続けることで、友人や家族、隣人、さらに地球との関係ないを

       犠牲にしていることに人々は気づきはじめている。

      今、私たちは「自分にどんな得があるか」を追い求めることから「みんなにとって

      どんな得になるか」を考えようとするその大きな転換点にいる。

       それ以上に、個人の利益と社会の利益が、お互いの肩にかかっていることもわかりはじめた。

       温暖化を止めるには、それが自分との利益になるからだ。

       選挙に行くのも、それが自分にかえってくるからだ。

       ウィキペアの記帳を訂正するのも、それが自分のためだからだ。

 

□ 昔の美徳を取り戻す

 

✔︎   今の消費経済に未来はない、と気づいたのは、何も私たちが最初ではない。

      大衆消費社会が始まったまさにその当時、ある先見の明のある人物が、物質主義の

      文化を止めようとしていた。

 

       コンフレークを製造する巨大企業、ケロッグの創業者、W・K・ケロッグは、ちょうど

       大恐慌が始まった1930年、1500名の従業員の大半を、これまでの8時間労働から6時間労働に

       変えることにした。

 

  ※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。

 

✔︎  ケロッグの6時間労働の効果は、社会的厚生という点でよかっただけではない、つまり

      従業員が余暇を楽しみ「ハッピー」になったというだけではない。

      数字の上でも目に見える効果が現れた。

      労働時間の短縮によって、従業員の生産性が上がったのだ。

 

  ※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。

 

✔︎   今、ケロッグの6時間労働と同じ精神に立ち返ろうとする意識的ムーヴメントがある。

      アメリカだけでなくヨーロッパやオーストラレーシア(オーストラリア、ニュージーランド、

      近くの南太平洋の島々の全体を指す)の大部分で、人々は余暇を取り戻すことで、

      自己学習にあて、自己を再発見し、見過ごされてきた社会資本を再生しようとしている。

      人生の意義を見直し、自身をコミュニティの中に再び位置づける動きは、いたるところで

      生まれている—–

 

※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。

 

✔︎  私たちが何を買い、何をつくり、何をして、何を創造するにしても、その背後にちゃんと

     した目的やれっきとした物語が欲しいのだ。

 

 

この続きは、次回に。

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