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シェア < 共有 > からビジネスを生みだす新戦略 ㉞

□ ウェブ2.0とコラボ消費

 

日本でインターネットへの商用接続が正式に認可され、最初のインターネット接続プロバイダーが

サービスを開始したのが1994年、それから十数年以上が経過し、その間にもユーザー数はもとより、

基盤となる技術や情報機器の進化により、同じインターネットとはいえ、当初とは異なる、

いわば変質が見られるようになってきた。

そんなインターネットの進化の過程で、2005年にアメリカの技術系の出版社として著名な

オライリーメディアの創設者、ティム・オライリーはあるコンセプトを発表する。

それは「ウェブ2.0」と呼ばれ、当時起きていた数々の変化について述べたもので広い支持を

受けた。

 

「コラボ消費は、私たちを物々交換、取引、賃借のような、とても古い市場での行動に

連れ戻すもの」

さらに、「それは過去のスケールを超えたものでありながら、街角に立って誰かと握手したり、

顔を見ながら取引するといった行動を、システムによって隔てられていなかった時代と

同じようにヴァーチャルな世界で模倣できる」というわけだ。

 

ここに本書の全編を貫く〝信頼の回復=コミュニティへの回帰〟が語られている。

そこでの消費は20世紀のように、私たちを孤立させるのではなく、私たちをコミュニティに

帰属させ、そしてそれぞれが創造的に自己実現できるように提起するものであり、ウェブ2.0の

根幹でもあった。

I(私)からWe(みんな)への移行は、ウェブ2.0の揺籃期を経て共有型経済圏で開花していたのだ。

 

□ 〝チェンジ〟のためにインターネットができること

 

クレイグズリストはウェブ1.0の頃から存在し、ウェブ2.0の代表格だった画像共有のフリックカー、

ブックマークをみなに公開するデリシャスなどは、相変わらずユーザーたちから愛されている。

ここで新しい潮流として紹介されるソーシャル・ホスピタリティのエアビーアンドビーなどと

人気なウェブサービスに共通する点は、「ユーザーに押しつけず従来からのやり方を変えた」と

いう点だろう。

 

筆者だけかもしれないが、これまでウィン・ウィン(両者両得)を意味する言葉がなんとなく

虚しく響いて聞こえたのは、提携する企業同士のメリットだけで、そこに消費者が含まれて

いない場合が少なくなかったからだ。

これからのビジネスは、どれだけこのウィン・ウィンの数を増やせるかにかかっている。

ステークホルダー(株主、取引先、従業員等の利害関係者)だけではなく、資源、生命、生態系を

含む自然資本にとってウィン(勝利)となるやり方を模索する時期なのだ。

 

実をいえば21世紀は、インターネット以前のパッケージ化されたモノに根ざす文化と、

インターネット以降の常に変化し続ける〝万年評価版〟あるいは〝常に開発中〟を標榜する

文化が共存状態にある。

前者は大量生産時代の遺物でありながら、これからも続くだろうし、プロの供給者として

希少資源をどう扱うのか学ぶべきところもある。

後者はインターネット以降に浸透したものだ。

それが何を意味するのかといえば、ユーザーによる自己決定ができる文化が前提であると

いうことだ。完全パッケージ化された文化では受け身の状態ですが普通だった。

しかし、〝万年評価版〟の文化に関与した経験をもつなら、当然ながら前者の価値観との間に

隔絶があり、そこがウェブに対する理解や立場の違いとなる場合が多い。

そして、〝万年評価版〟の文化は無形の価値が中心なので、その本質を理解している人たち(世代は

関係ないだろう)がモノ社会からサービス経済への構造変換における意義を鋭く嗅ぎ分けるに

違いない。

 

共有型経済が、本書の言うような「カウンターカルチャーからカルチャーの中心」へと

移行できるか否かは、自己決定力をどう使うのかにかかっている。

それは、クリックひとつで世の中を良くも悪くも変えることができるため、当然のことながら

自動車を運転する時のように責任も伴う。

そして、本書はその力を知るプレイヤーたちへの新しい問い直しでもある。

 

たぶん、私たちはまだインターネットをうまく使いこなしているとは言えないだろう。

どこかぎこちなく、時にはぎくしゃくしたり痛みを伴いながら、なんとかその互酬性や

破壊力について日々理解しつつある。

そして、その力をI(私)も含むWe(みんな)のためにどう使うのか覚えなければならない。

 

ギアを次に入れよう。

そして、この先に進むことで喜びと悲しみをシェアし、共に生きていこう。

 

2010年11月吉日

 

 

この続きは、次回に。

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