お問い合せ

田中角栄「上司の心得」⑨

陳情成果などは、一切、吹聴せず

 

「初めての田中さんとの出会いは、私の内務省の先輩で代議士だった

町村金五(のちに北海道知事。故町村信孝・元外相の父)さんから、『戦後

タイプのメリハリのきいた代議士で、将来性がある』として田中さんの

ことを耳にしており、それではということで予算陳情に頼ってみたときの

ことだった。

時に、私は〝第2機動隊構想〟という腹案を持っていた。

これには人件費などの増大が必至で、実現には次年度の予算で警察予算の

増額が不可欠だった。この時私の話を聞いていた田中さんは、一発で

『分かった』と言ってくれ、結果的に予算はしっかり付けてくれた。

しかも、予算をオレが付けてやったなどとは、一切、吹聴しなかった。

若いけれど、なかなかの人物だと思った。政治家と官僚は、時として上司と

部下の関係になることが少なくない。つまり、手柄は部下に譲り、部下に

花を持たせてやるというのが上司としての〝角栄流〟だった。

そうした面でも、人心掌握術の達人と言えた」

この〝部下に花を持たせる〟という「角栄流」は、災害時でも同様だった。

田中には、一方で「災害に強い男」との異名もあった。大災害が起こると、

ナミの政治家がやりたがる、まずは対策本部の設置、そして会議の連発と

いったような手順よりも先に、まず被災者に向けて復旧・復興への早い

道筋を提示するのが常であった。時に、長靴をはいて被災地に入り、

被災者を安心させるため、なんと当時の大蔵省主計局長だった相沢英之

(のちに、事務次官。女優・司葉子の夫)を同行させたこともあった。

復旧・復興への予算付けを握る主計局長が同行となれば、悲嘆にくれる

被災者には何よりも心強いだろうということからの、〝配慮〟だったので

ある。そうしたうえで、こうした災害の場においても、田中は「親分力」

としてなお〝部下に花を持たせる〟のである。

部下である建設省役人に対する、こんな好例もあった。

昭和42(1967)年の8月26日から29日にかけ、山形県南西部から新潟県北部は

激しい集中豪雨に見舞われた。両県での死者は100人を超え、家屋の全半壊、

床上床下浸水合わせて8万5000戸近くに及んだ大災害で、「羽越豪雨

(水害)」と呼ばれた。

時に、田中は佐藤栄作政権の自民党幹事長を辞任したあとだったが、

その政治手腕ぶりから、すでにこの頃には「ポスト佐藤」の有力候補の

位置付けになっていた。

このとき、田中はとくに役職に就いていなかったため、災害対応への

全面的な人道指揮は執れなかったが、知恵を次々と繰り出した。

この水害による甚大な被害は、堤防が各地で決壊したことが大きかった

のだが、田中は被害の多くをもたらした二級河川を一級河川へ昇格させる

ことに腕力を発揮したのだった。

「河川法」によれば、二級以下の河川は都道府県の管理、管轄であり、

一級河川は国(当時は建設省、現在は国土交通省)のそれとなる。

すなわち、田中はその認可権を持つ建設省に根回しし、二級河川を一級

河川に昇格させることで、国の予算を潤沢に取っての大規模な治水工事を

可能とさせたのだった。これにより、被災者を含めた堤防の周辺住民に

安堵を与えたことは、言うまでもなかった。

田中がさらに「親分力」を見せつけたのは、その後である。このあたりが

「角栄流」の真髄である。田中は自らの発想で建設省を動かし、山形県と

新潟県の住民に感謝されたのだが、これを自らの発想とせず、建設省役人の

発想、手柄としたのが白眉だったのだ。こうして田中が建設省に〝花を

持たせた〟ことで、両県は建設省に感謝、建設官僚にはまた公僕としての

達成感、充足感が残り、以後、一層、仕事に精が出るということだった。

まさに、彼らからすれば「田中親分」ということだったのである。

かつて田中の地元・新潟で強大無比を誇った田中の講演会「越山会」の

最高幹部にして田中の「国家老」とも言われた本間秘書は、次のように

言っていた。

「政治家というものは、自分が橋を架けた、堤防を直したなど選挙区で

吹聴したがるのが常だが、田中は陣笠代議士の頃からそれが一切なかった。

すべて、役所などの、司の手柄にしてやっていた。だから、いざ選挙と

なると、そうした人たちが、こぞってまとまり、田中の支援に回った。

これが、田中が選挙で圧倒的に強かった側面ということにもなる」

こうした田中同様の、手柄は部下にとする〝部下に花を持たせる〟ことで

中堅、若手議員らの信頼を高めていった一人に、田中派幹部時代の竹下

登(元首相)がいた。しかし、田中、竹下の二人は、終生ソリが合わなかった

ものだ。

竹下は若いときから自己宣伝一切なし、〝汗は自分で、手柄は人に〟の

モットーを、徹底的に実践してきた人物であった。自らは辛抱、我慢を

信条とし、ために「政界のおしん」の異名があったことは知られている。

田中も周囲には気配り抜群の人だっただけに、「優秀な竹下を、〝近親

増悪〟として嫌ったのだ」との見方もあったのである。

結局、田中が病魔に倒れ、再起不能となったあと、竹下は田中派の大勢を

まとめ上げる形で竹下派を結成、ついに天下を取ってみせている。

竹下の戴冠も、突き詰めれば徹底して〝部下に花を持たせる〟ことを

いとわなかったという、「親分力」がさせたものと言ってよかった。

古来、「能ある鷹は爪を隠す」とされている。どんなに地位が高くても、

鼻の穴をふくらませ、ソックリ返っているトクイ顔の上司に付いていく

若い部下などは、今日一人としていないと知るべし。

 

● 陳情

 

目上の人に、実情や心情を述べること。特に、中央や地方の公的機関、

または政治家などに、実情を訴えて、善処してくれるよう要請すること。

また、その行為。「国会に陳情する」「陳情団」

 

● 吹聴

 

言いふらすこと。言い広めること。「自慢話を吹聴して回る」

 

● 人心掌握術

 

人心掌握術(じんしんしょうあくじゅつ)とは、相手の心をしっかりと

つかむことです。 自分の意のままに相手の心を操ることができれば、それは

人心掌握ができている状態。 相手からの尊敬や信頼を得られれば、自分の

思い通りに相手の心を動かせるようになります。2018/02/28

 

● 潤沢

 

ものが豊富にあること。また、そのさま。「潤沢な資金」

 

● 白眉(はくび)

 

1. 白いまゆ毛。

2. 《蜀 (しょく) の馬氏の五人兄弟はみな秀才であったが、まゆに白毛の

    ある馬良が最もすぐれていたという、「蜀志」馬良伝の故事から》

    多数あるもののうち、最もすぐれているものや人のたとえ。

   「印象派絵画の白眉」

 

● 陣笠代議士

 

陣笠議員(じんがさぎいん)とは、日本の政界用語であり、大物政治家の

言いなりになり、議会(国会)や政党の決議を採決するにあたっての

「挙手要員」と成り下がっている政治家のこと。

近世の合戦において兵士が陣笠をかぶっていたことから。

 

● 司

 

(し/つかさ)は日本古代律令制において主にのもとに置かれた

官司等級の一つである。

 

● 近親増悪 (きんしんぞうお)

親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと。

 

● 戴冠(たいかん)

 

国王が即位のしるしとして王室伝来の王冠を頭にのせること。

 

● 能ある鷹は爪を隠す

 

実力のある者ほど、それを表面に現さないということのたとえ。

 

 

 

この続きは、次回に。

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