田中角栄「上司の心得」2-⑫
問われる詰めの厳しさ
ところが、である。選挙区に帰って間もなく、橋本は田中幹事長から一通の
手紙が、地元の票を多く握る有力者のもとに届いていたことを知った。
その手紙は墨痕鮮やかな田中の直筆で、巻紙の長さがなんと2メートル
近くもあるものだった。これだけの文章を綴ることは、片手間ではでき
ない。
田中の何事にも誠心誠意、全力投球という姿勢が窺えたのであった。
その手紙の要旨は、次のようなものであった。
「私の調査では、現時点で橋本龍太郎は当落線上から上がっていない。
橋本は国会できりきり舞いしていたことで、地元には帰れなかった。
党としては、党務で全力投球をした人間を落選させることはできない。
私としては、なんとしても橋本を上げたい。
貴殿の会社の事業所が選挙区にあるが、何とか協力をお願いしたい」
この史実を知った〝感激屋〟でもあった橋本は、口では冷たかったが
ここまでやってくれた田中を思い、「しばし涙に暮れた」と、のちに
自ら告白している。
こうした田中の何事にも誠心誠意、全力投球の真骨頂は、じつはこの
手紙だけにとどまらなかった。田中は自らのあった当時の国対副委員長の
竹下登に、別の有力者の会社のいくつかの事業所を回る依頼もしていたの
だった。ここでは、田中特有の〝詰めの厳しさ〟が窺われた。
竹下も持ち味の決めの細かさを発揮、遺漏なく事業所を回って頭を下げた
ものだった。結果、橋本はこうした手抜きのない「角栄流」が奏功した
形で、この3回目の選挙では見事トップ当選を果たすことができた。
やがて歳月が流れ、田中がロッキード事件で逮捕、保釈されて目白の田中邸に
戻った日、橋本はイの一番に駆けつけて田中を迎え、ここでは「オレは
角さんが好きなんだ」と目を潤ませたのであった。
上司諸君。目をつけた部下には、上司としてそんな感激の記憶を残して
やりたいものである。そうした目をかけられた部下は、仮に上司が苦境に
立つことがあっても、部下を超えた〝真の友人〟として全面バックアップ、
最後まで見放すことはないと知りたい。
● 墨痕(ぼっこん)鮮やかに
文字が美しいさま、達筆
● 誠心誠意
このうえないまごころ。まごころのこもるさま。
打算的な考えをもたず、まごころこめて相手に接する心をいう。
▽「意」は考え・気持ち。
● 全力投球
全力を尽くして物事を行うこと。「業務に全力投球する」
● 窺えた
多く、推察できる、感じ取ることができる、といった意味で用いられる。
「窺う」は、そっと様子を見るの意。
● 要旨
述べられていることの主要な点。また、内容のあらまし。
「講演の要旨をまとめる」
● 史実
歴史上の事実。「史実に忠実な小説」
● 真骨頂
そのものが本来もっている姿。真面目 (しんめんもく) 。
「真骨頂を発揮する」
● 遺漏(いろう)
大切な事が抜け落ちていること。手抜かり。手落ち。
「遺漏のないように記入する」
● 奏功(そうこう)
目標どおりの成果があがること。功を奏すること。
「和解工作が奏功する」
この続きは、次回に。