ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㉕
□ 成果をあげる能力は修得できるか
もし成果をあげる能力が音楽や絵画の才能のように天賦のものであるならば、
悲惨というべきである。いかなる分野においても偉大な才能は稀だからで
ある。そうであるならば、成果をあげる能力に恵まれた若者を早く発見し、
最善を尽くして育てなければならない。だがそのような方法では、現代
社会に必要な数を確保することはほとんど望み薄である。
しかし逆に、もし成果をあげる能力が修得できるのであるならば、問題は
次のようなものとなる。すなわち、その能力は何から成り立つか、具体的に
何を修得すべきか、修得の方法はいかなるものか、それは知識か、体系的に
修得できるものか、あるいは徒弟的に修得すべきものか。
基本の繰り返しによってのみ修得できるものか。
私はこれらの問題を長年考えてきた。コンサルタントとして多くの組織と
仕事をしてきたが、成果をあげることは私自身にとっても二つの意味で
決定的に重要だった。
第一に、知識による権威以外の何物ももたないコンサルタントとしては、
成果を上げなければならない。さもなければ価値がない。
第二に、最も成果をあげるコンサルタントでさえ、物事をなすには、
顧客たる組織の中の人たちに依存しなければならない。
顧客のもっている成果をあげる能力が、結局のところはコンサルタントが
貢献し成果をあげられるか、単なるコストセンターあるいはせいぜい
道化師の役割しか果たせないかを決定する。
私は、成果をあげる人のタイプなどというものは存在しないことにかなり
前に気づいた。私が知っている成果をあげる人は、気質と能力、行動と
方法、性格と知識と関心などあらゆることにおいて千差万別だった。
共通点はなすべきことをなす能力だけだった。
外向的な人もいれば、超然とした内向的な人、なかには病的なほどに
恥ずかしがり屋の人もいた。過激な人もいたし、痛ましいほど従順な
人もいた。太った人も痩せた人もいた。心配性の人も、気楽な人もいた。
酒飲みも、酒嫌いもいた。魅力的で温かい人も、魚のように冷たい人も
いた。
通俗的なリーダー像どおりの、目立つ人たちがいた。逆にその存在も
気づかれないような、何の特色もない人もいた。学究肌の人もいれば、
ほとんど文字を読めない人もいた。幅広い関心をもつ人もいたし、逆に、
狭い領域以外のことに関心をもたない人もいた。
利己的ではないにしても、かなり自己中心的な人もいた。心の広い人もいた。
仕事に生きている人もいれば、地域や教会の仕事、漢詩の研究、あるいは
現代音楽など、仕事でないことに関心をもつ人もいた。
● 修得
学問・技芸などを学んで会得すること。「柔道の技を―する」
● 天賦
天から賦与されたもの。生まれつきの資質。「―の才能」「運否 (うんぷ) ―」
● 徒弟
1. 親方の家に住みこんで商工業の技術を見習う少年。丁稚 (でっち) 。小僧。
2. 門人・弟子。
● 千差万別
種々さまざまの違いがあること。また、そのさま。千種万様。
せんさまんべつ。「―な(の)意見」
● 超然
物事にこだわらず、平然としているさま。世俗に関与しないさま。
「時代の風潮に―としている」
● 利己的
自分の利益だけを追求しようとするさま。「―な生き方」「―な態度」
● 自己中心的
《「自己中心的」の略。「ジコチュウ」と書くこともある》
何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。
自分勝手。利己的。「―な発言」→自己中心性
● 漢詩
1. 中国の詩。一句が四言・五言、または七言からなるのが普通で、平仄
(ひょうそく) ・脚韻などの規則がある。古詩・楽府 (がふ) ・絶句・
律・排律などの種類がある。また、それをまねて日本で作った詩。
からうた。
2. 中国漢代の詩。
この続きは、次回に。