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ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+3

P.F. Drucker Eternal Collection 1

The Effective Executive

Chapter:4

 

第4章❖人の強みを生かす

 

□ 強みによる人事

 

成果をあげるには、人の強みを生かさなければならない。

弱みからは何も生まれない。結果を生むには利用できるかぎりの強み、

すなわち同僚の強み、上司の強み、自らの強みを動員しなければならない。

強みこそが機会である。強みを生かすことは組織に特有の機能である。

組織といえども人それぞれが持つ弱みを克服することはできない。

しかし組織は、人の弱みを意味のないものにすることができる。

組織の役割は、一人ひとりの強みを共同の事業のための建築用ブロック

として使うところにある。

強みに関わる最大の問題は人事である。成果をあげるにはできることを

中心に据えて異動を行い昇進させなければならない。

人事において重要なことは、弱みを最小限に抑えることではなく強みを

最大限に発揮させることである。

 

リンカーン大統領は、最高司令官の人選にあたって、グラント将軍の

酒好きを参謀から注意されたとき、「銘柄がわかれば、他の将軍等にも

贈りなさい」といったという。ケンタッキーとイリノイの開拓者で育った

リンカーンは、飲酒の危険は十分に承知していた。

しかし北軍の将軍の中で、常に勝利をもたらしてくれたのはグラントだった。

事実、彼は最高司令官に任命したことが南北戦争の転換点となった。

酒好きという弱みではなく、戦い上手という強みに基づいて司令官を

選んだためにリンカーンの人事は成功した。

リンカーンは、失敗を重ねてこのことを学んだ。

実は彼はグラントを選ぶ前、目立った弱みのない人間ばかりを将軍に

任命していた。その結果、北軍は兵力および兵站においてはるかに優勢

だったにもかかわらず、一八六一年から六四年にいたる三年間という

長い間、不利な戦況を変えることができなかった。

これに対して南軍の指揮官リー将軍は、最初から強みに基づいて人を

選んでいた。ストンウォール・ジャクソンをはじめリー将軍の部下で

ある将官たちは、みな明らかに大きな弱みをもつ人だった。

しかしリーはそのような弱みを無関係とした。

彼らの一人ひとりがそれぞれ強みをもっていた。

リーが利用し役に立たせたのがそれらの強みだった。

その結果、リーが選んだ狭い分野で強みを持つ将軍たちが、リンカーンの

当初任命していた可なく不可もない将軍たちを何度も破った。

 

● リンカーン大統領

 

アメリカの政治家。 第 16代大統領 (在任 1861~65) 。 ケンタッキー州の

農民の子として生れ,インディアナ州,次いでイリノイ州に移り,ニュー

セーレムで商店の経営,測量士などさまざまな仕事をしながら独学で法律を

勉強,1836年弁護士の資格を取得してスプリングフィールドで開業。

 

● グラント将軍

 

ユリシーズ・シンプソン・グラント(英: Ulysses Simpson Grant、1822年

4月27日 – 1885年7月23日)は、アメリカ合衆国の軍人、政治家。

南北戦争時の北軍の将軍および第18代アメリカ合衆国大統領。

アメリカ史上初の陸軍士官出身の大統領。

 

● 兵站(へいたん)

 

戦闘部隊の後方にあって、人員・兵器・食糧などの前送・補給にあたり、

また、後方連絡線の確保にあたる活動機能。ロジスティクス。「―部」

 

● リー将軍

 

ロバート・エドワード・リー(Robert Edward Lee、1807年1月19日 – 

1870年10月12日)は、南北戦争の時代のアメリカ軍人教育者

南部連合の軍司令官を務め、物量や国力において圧倒的に強大だった

合衆国側の北軍を大いに苦しめた。最終的には敗北したが、アメリカ史上

屈指の名将として評価が高い。

 

● 可なく不可もない

 

《「後漢書」光武紀から》特によくもなく、また、悪くもない

普通である。

 

 

この続きは、次回に。

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