ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+20
上司は部下の仕事に責任をもつ。部下のキャリアを左右する。
したがって、強みを生かすことは成果をあげるための必要条件であるだけ
でなく、倫理的な至上命令、権利欲と地位に伴う責任である。
部下の弱みに焦点を合わせることは、間違っているばかりか無責任である。
上司たる者は、組織に対して部下一人ひとりの強みを可能なかぎり生かす
責任がある。部下に対して彼らの強みを最大限に生かす責任がある。
組織は、一人ひとりの人に対し、彼らがその制約や弱みに関わりなく、
その強みを通して物事を成し遂げられるよう奉仕しなければならない。
このことは今日ますます重要になっている。まさに決定的に重要である。
一世代前、知識を使う仕事の数は少なく雇用の場も少なかった。
ドイツやスカンジナビア諸国において、国家公務員になるには法律の学位が
必要だった。数学者は応募しても無駄だった。
知識を仕事に使うことで生計を立てようとする若者には、雇用の場は
三つや四つの知識分野にしかなかった。
これに対し、今日では驚くほど知識労働の種類があり、驚くほど多様な
雇用の選択肢がある。一九○○年頃、実際的な目的をもちうる知識分野は、
法律、医学、教育、宗教など、いくつかの伝統的な職業に限られていた。
今日では文字どおり数百にのぼる知識分野が雇用の場として開かれている。
あらゆる知識分野が、組織、特に企業と政府機関において必要とされて
いる。
したがって今日では、誰でも自らの能力に最も合った知識分野を選択し、
かつ雇用の場を見つけることができる。かつてのように自らを雇用の場に
合わせる必要はない。
ところが今日の若者のほうが将来の選択が難しくなっている。
自らについても、機会についても、十分な情報をもたないからである。
今日、一人ひとりの人にとって自らの強みを生かす場をもてるようにする
ことに重大な意味がある。同時に、組織にとっても、強みによって人事を
行い強みを発揮させることが重大な意味をもつ。
かくして知識労働の時代においては、強みをもとに人事を行うことは、
知識労働者本人、人事を行った者、ひいては組織そのものにとってだけで
なく、社会にとっても欠くべからざることになっている。
この続きは、次回に。