ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+77
通常知識労働者は経済的な問題は抱えていない。大体において豊かである。
雇用は安定し、かつその知識のゆえに転職の自由まである。
しかし彼らの心理的な欲求や価値観は、組織における仕事と知識を通して
満足させなければならない。彼らの多くは専門家として見られ、彼ら自身も
そう思っている。しかし雇われの身であり命令を受ける身である。
しかも彼らはそれぞれの専門分野に属する人間でありながら、その知識
からくるところの権威を組織の目的や目標に従属させなければならない。
専門知識においては上司も部下もなく年上と年下がいるだけだから、
組織には階層がある。
もちろんこれらのことは新しい問題である。軍隊組織や公務員制度には
昔からある問題であり、解決策も知られている問題である。
しかし依然として現実の大きな問題である。知識労働者には貧しさによる
問題はない。流行の言葉で言うならば自己疎外、倦怠、フラストレーション、
諦観が問題である。
肉体労働者の欲求と、拡大する産業の役割との経済的対立が、一九世紀の
発展しつつある国にとっての社会問題であったように、知識労働者の地位と
機能と自己実現が二○世紀の発展した国にとっての社会問題である。
これは、その存在を否定することによってなくなる種類の問題である。
正統派の経済学やマルクス経済学がそれぞれの立場で主張しているように、
現実に存在する者は、経済的社会的活動の客観的実在のみであると主張
しても問題がなくなるわけではない。
組織の目標は自動的に個人の自己実現を意味するわけではなく、したがって
組織の目標などは考える必要がないと結論する社会心理学の新ロマン派の
主張によっても問題はなくなりはしない。
われわれは、組織の成果に対する社会の客観的なニーズと、個人の自己
実現のニーズの双方を満たさなければならない。
ここにおいて、成果に向けたエグゼクティブの自己開発こそが、手にしうる
唯一の答えである。それは組織の目標と個人の欲求を合致させる唯一の
方法である。強みを生かす者は仕事と自己実現を両立させる。
自らの知識が組織の機械となるように働く。貢献に焦点を合わせることに
よって自らの価値を組織の成果に変える。
少なくとも一九世紀には、肉体労働者は経済的な目的だけをもち、経済的な
報酬だけで満足すると信じられていた。しかしそのような考えは、人間
関係学派が明らかにしたように事実とはほど遠いものだった。
賃金が最低生活水準を超えた瞬間、そのようなことはもはや事実ではなく
なった。
知識労働者も経済的な報酬を要求する。報酬の不足は問題である。
だが報酬だけが十分ではない。
知識労働者は機会、達成、自己実現、価値を必要とする。
彼らは自らを成果をあげる者にすることによってのみそれらの満足を得る
ことができる。
エグゼクティブの成果をあげる能力によってのみ、現代社会は二つの
ニーズ、すなわち個人からの貢献を得るという組織のニーズと、自らの
目的の達成のための道具として組織を使うという個人のニーズを調和
させることができる。したがってまさにエグゼクティブは成果をあげる
能力を修得しなければならない。
● 自己疎外
《(ドイツ)Selbstentfremdung》
1. ヘーゲル哲学で、ある存在が自己の本質を本来的自己の外に出し、
自己にとって疎遠な他者となること。疎外。
2. 初期におけるマルクスの哲学で、資本主義のもとでの人間の非本来的
状態をいう。疎外。
● 倦怠
1. 物事に飽きて嫌になること。飽き飽きすること。「―期」
2. 心身が疲れてだるいこと。「―感」
● フラストレーション(frustration)
欲求が何らかの障害によって阻止され、満足されない状態にあること。
その緊張によって攻撃的になりやすい。欲求不満。要求阻止。
「―を解消する」
● 諦観(ていかん)
1. 本質をはっきりと見きわめること。たいかん。諦視。「世の推移を―する」
2. あきらめ、悟って超然とすること。「―の境地」
この続きは、次回に。