お問い合せ

『成しとげる力』⑦

○ ぎりぎりまで重ねた努力が運を呼び寄せる

 

「運が七割」と、私は口ぐせのようにいう。あみだくじに一本線が

加わるだけでまったく違う結果になるように、どれだけ人事を尽く

しても、まさに一寸先は闇。結果はわからないものである。

しかし、運を掴むために徹底的に人事を尽くさなければならないことも、

また事実である。運を呼び寄せるのは、あくまで努力の積み重ねだと

いうことを忘れてはならない。たんに努力する程度ではまだまだで、

これ以上することはない、できることは何もない、という極限まで

努力して、初めて運が近づいてくるのだ。

 

○ 神前への〝誓い〟が新たな力を呼び起こす

 

運が呼び寄せられるのは、血のにじむような努力を絶えず続けてきた

者だけである。

人はときに人を裏切ることがあるが、努力はけっして裏切らない。

これ以上はできないというところまで努力を重ねて、初めて運が近づい

てくるのだ。

 

○ 足下を悲観していれば、将来は明るい

 

創業以来、私はずっと「足下悲観、将来楽観」といい続けてきた。

いま調子がいいから、「このままでいこう」と思っていたら、将来は

けっして明るくない。市場はさらによいものを求め、それに応じて技術は

どんどん進化する。気づいたときには出遅れている。

足下を楽観していると、将来は危うくなる。

一方で「このままではいけない」とつねに足下を悲観し、いち早く準備を

しておけば、変化した市場に一番乗りである。

いまを悲観しているかぎり、将来は明るいのだ。

 

いまは苦しくとも、そこから逃げずに立ち向かっていけば、必ず幸せに

なれる。楽しい世界が待っている——母はそういって私を励まして

くれたのだ。足下の暗い話よりも将来の明るい夢を語るのがつねだった。

 

いつしか「足下悲観、将来楽観」は私の信念になっていった。

イヤなことが一回起きれば、いいことが二回返ってくる。

困難が大きければ大きいほど、その先には大きな喜びが待っていると

信じるようになった。

 

○ 苦しみに飛び込んでこそ、生きる喜びを味わえる

 

人生というものは、最後に「よかったな」と思えるかどうかで値打ちが

決まると思っている。人生の半ばでは、まだ答えが出ていないのだ。

たとえいま苦しい思いをしていたとしても、踏みとどまってがんばって

いけば、必ず成功への灯りが見えてくるものだ。

 

朝がこない夜はない。同じように、出口のないトンネルもない。

暗く、長いトンネルも出口に向かって懸命に歩き続けると、はるか先に

一筋の光明が見えてくる。その光を道標に、一歩一歩前に進めば、必ず

出口にたどりつくのだ。

 

 

この続きは、次回に。

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