お問い合せ

『成しとげる力』㉒

○ すべてが「自分ごと」になると、人生が変わる

 

人としての「器」を大きくするということは、自分のまわりに起きる

出来事を「自分ごと」ととらえ、責任をもつということでもある。

それはこれまで再三述べてきたようにEQを高めることにも通じる。

周囲のことに関心をもち、気配りを忘れず、できるかぎりのことを

していくことである。

 

倒産した会社に共通しているのは、経営トップも含めて、責任をとろう

とする人間がいないことである。それは、困難から目をそらして、

正面から対することを怠っていると言う人でもある。

「自分のせいではない」

「いまは円高だからどうしようもない」

「人が足りないので無理だ」

人はとかくこのような泣き言や言い訳をいって、困難から逃げようと

するものだ。

しかし、困難から目をそらすということは、その解決策からも遠ざかる

ことになる。なぜなら、困難は必ず解決策とともにやってくるからだ。

だから、この手でつかむまで、逃げてはならない。

その努力をやめさえしなければ、克服できるのだ。

 

どんな困難に直面しようとも、それを「自分ごと」として受け止め、

対処していくときに、人は強さを身につけ、人間的にも成長するもの

である。

そのためには、「泣かない・逃げない・やめない」という三つのことを、

いかなる場合でも貫くことだ。何があっても泣き言をいわず、逃げず、

できるまでやめない。その「三ない主義」を貫く精神力を身につける

ことである。

人間とは弱き生きものだ。苦しみはできるだけ避けて快楽を求めがちだ。

しかし、楽を追えば、楽は逃げていく。苦から逃げれば、苦が追いかけ

てくる。苦しみと向き合うことで、初めて楽を得ることができるのだ。

 

○ なぜ、いま「人を育てる」ことに力を注ぐのか

 

グローバル社会において、年々その地位を下げつつある日本の将来を

私は本気で懸念している。このまま手をこまねいていては、日本のさら

なる地盤沈下は避けられないであろう。この流れを止め、日本に再び

活力ある社会を取り戻していくためには、世界に通用する実践力を身に

つけた若者の育成が急務だと考えているからだ。

一方、若者たちにとっても、現状での日本の大学教育を終えただけでは

海外の若者に比べてあまりにも実力差がありすぎ、グローバル社会の

なかでは活躍の場がかぎられてしまう。

その責任は、私たち大人が負っているのだ。

 

大学は今まで、企業や社会がどんな人材を求めているかも考えずに、

大学側の都合に合わせた教育の仕方で卒業生を社会に送り出してきた。

これが企業側であれば、顧客が求めているものを供給できなかったら

ビジネスは成り立たない。大学も本来、そうあるべきなのだ。

大学側は、顧客である我々企業家が満足するような卒業生を自信を

もって送り出してきたか。胸に手を当ててよく考えてほしい。

このような状況を見過ごしてきた国も同罪である。

 

企業や社会が求めている人材とはどのようなものかといえば、自らの

力で課題を見つけ、解決の道筋を探り、それを実践する力を身につけた

即戦力の人材である。

ところが、日本の大学教育の現状をみると、こうした力を磨くことには

なっていない。学生の多くは子どもの頃から塾に通い、偏差値の高い

大学をめざして受験勉強に明け暮れてようやく大学に入ってくるのに、

そこで得られる教育が現在のようなものでは、これからの変化の時代に

対応する武器を身につけないまま社会に出ることになってしまう。

 

一方、教える側の問題点についていえば、教授は教壇に立って、古い

講義ノートを広げて、何年も同じような講義をしているケースも少なく

ない。学生たちはただ試験に備えて、それを一方的に聴いているだけだ。

このような講義の連続では、自分でものを考えるという習慣をもたない

〝指示待ち族〟が社会に巣立つのも無理はない。

 

 

この続きは、次回に。

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