お問い合せ

「道をひらく」松下幸之助 ㉛

・世の宝

 

明智左馬之介光春が、堀監物に城を完全に包囲され、今はこれまでと

観念したとき、城内にあった数々の秘蔵の名器を城外におろし出し、

「あたら灰になすに忍びぬ品々、貴公の手を経て世にお戻しいたしたい。

お受けとりあれや」といったことは、『太閤記』にもある有名な話で

ある。

「それがしの思う所、かかる重器は、命あって持つべき人が持つ間こそ

その人の物なれ、決して私人の物でなく、天下の物、世の宝と信じ申す。

人一代に持つ間は短く、名器名宝の命は世にかけて長くあれかしと祈る

のでござる。これが火中に滅するは国の損失。武門の者の心なき業と

後の世に嘆ぜられるるも口惜しと、かくはお託し申す次第」

私心にとらわれることなく、いまわの際まで公の立場に立って判断し、

処置を誤らなかったこの光春の態度には、長い歴史に培われた日本人

本来の真価がうかがえると思う。

世の宝は何も秘蔵の名器だけではない。おたがいに与えられている

日々の仕事は、これすべて世の宝である。世の宝と観じて、私心に

とらわれることのない働きをすすめてゆくために、光春のふるまいを

今日もなお、大いに範としたいものである。

 

・自問自答

 

自分のしたことを、他の人びとが評価する。ほめられる場合もあろうし、

けなされる場合もある。冷やかに無視されることもあろうし、過分の

評価にびっくりすることもあろう。さまざまの見方があって、さまざまの

評価である。

だから、うれしくなって心おどる時もあれば、理解の乏しさに心を暗く

する時もある。一喜一憂は人の世の習い。賛否いずれも、ありがたい

わが身の戒めと受け取りたい。

だがしかし、やっぱり大事なことは、他人の評価もさることながら、

まず自分で自分を評価するということである。自分のしたことが、

本当に正しかったかどうか、その考え、そのふるまいにほんとうに

誤りがなかったかどうか、素直に正しく自己評価するということで

ある。

そのためには、素直な自問自答をくりかえし行わねばならない。

みずからに問いつつ、みずから答える。これは決して容易でない。

安易な心がまえで、できることではないのである。しかし、そこから

真の勇気がわく。真の知恵もわいてくる。

もう一度、自問自答してみたい。もう一度、みずからに問い、みずからに

答えたい。

 

● 過分

 

「過分」は、自分の扱われ方が身分不相応であること、身に余るさまで

恐縮することをいう。挨拶(あいさつ)の際など、改まった場面で使う

ことが多い。

 

● 賛否

 

賛成するか反対するかの意。単に賛成するか反対するかであるから、

客観的なよしあしは問題にならない。

 

● 自問自答

 

自らに問いかけて、自ら答えをいうこと。納得がいかないことや疑問を、

自分自身で、反芻はんすうすること。また、あれこれ考えて思い悩むこ。

 

 

この続きは、次回に。

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