「道をひらく」松下幸之助 ㊿+3
・熱意をもって
経営というものは不思議なものである。仕事というものは不思議なも
のである。何十年やっても不思議なものである。それは底なしほどに
深く、限りがないほどに広い。いくらでも考え方があり、いくらでも
やり方がある。
もう考えつくされたかと思われる服飾のデザインが、今日もなおゆき
づまっていない。次々と新しくなり、次々と変わってゆく。
そして進歩してゆく。ちょっと考え方が変われば、たちまち新しい
デザインが生まれてくる。経営とは、仕事とは、たとえばこんなもの
である。
しかし、人に熱意がなかったら、経営も、そして仕事の神秘さは消え
うせる。
何としても二階に上がりたい。どうしても二階に上がろう。この熱意が
ハシゴを思いつかす。階段をつくりあげる。上がっても上がらなくても—-
そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。
才能がハシゴをつくるのではない。やはり熱意である。経営とは、仕事
とは、たとえばこんなものである。
不思議なこの経営を、この仕事を、おたがいに熱意をもって、懸命に
考えぬきたい。やりぬきたい。
・ノレンわけ
昔は、お店に何年かつとめて番頭さんになったら、やがてノレンをわ
けてもらって、独立して店を持ったものである。今でもそういうことが、
一部で行われているかもしれないけれど、それでも世の中はずいぶん
変わった。
生産も販売もしだいに大規模になって、店の組織も会社になって、
だからもうノレンわけなどというものはすっかり影をひそめてしまった。
つまり、独立して店を持つということがむつかしくなって、会社の一員
として終生そこで働くという形が多くなったのである。
世の中の進歩とともに、大規模な生産販売に移行してゆくのも自然の
姿であろう。だからこれもまたやむを得ないことかもしれないが、
しかしノレンわけによって、独立の営みをはじめるというあの自主的
な心がまえまでも失ってしまいたくない。会社の一員であっても、実は
そのなかで、それぞれの勤務の成果によって、それぞれにノレンわけを
してもらっているのである。だからみんなその仕事では独立の主人公
なのである。
そんな気持ちで、自主的な心がまえだけは、終生失わないようにした
いものである。
● 終生
「終生」は、死ぬまでずっとの意で副詞的に用いられることもある。
この続きは、次回に。