お問い合せ

「道をひらく」松下幸之助 ㊿+2

・敵に教えられる

 

己が正しいと思いこめば、それに異を唱える人は万事正しくないこと

になる。己が正義で、相手は不正義なのである。いわば敵なのである。

だから憎くなる。倒したくなる。絶滅したくなる。

人間の情として、これもまたやむを得ないかもしれないけれど、われ

われは、わがさまたげとばかり思いこんでいるその相手からも、実は

いろいろの益を得ているのである。

相手がこうするから、自分はこうしよう、こうやってくるなら、こう

対抗しようと、あれこれ知恵をしぼって考える。そしてしだいに進歩

する。自分が自分で考えているようだけれど、実は相手に教えられて

いるのである。相手の刺激で、わが知恵をしぼっているのである。

敵に教えられるとでもいうのであろうか。

倒すだけが能ではない。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。

だからむしろその対立は対立のままにみとめて、たがいに教え教えら

つつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する

道を求めたいのである。

それが自然の理というものである。共存の理というものである。

そしてそれが繁栄の理なのである。

 

・あぶない話

 

失敗するよりも成功したほうがよい。これはあたりまえの話。

だが、三べん事を画して、三べんとも成功したら、これはちょっと危険

である。そこからその人に自信が生まれ確信が生じて、それがやがて

は「俺にまかせておけ」と胸をたたくようになったら、もう手のつけ

ようがない。謙虚さがなくなって他人の意見も耳にはいらぬ。

こんな危険なことはない。

もちろん自信は必要である。自信がなくて事を画するようなら、はじ

めからやらないほうがよい。しかしこの自信も、みな一応のもので、

絶対のものではない。世の中に絶対の確信なんぞ、ありうるはずがな

いし、持ちうるはずもない。みな一応のものである。みな仮のもので

ある。これさえ忘れなければ、いつも謙虚さが失われないし、人の意見も

素直に聞ける。だが、人間というものは、なかなかそうはゆかない。

ちょっとの成功にも、たやすく絶対の確信を持ちたがる。

だから、どんなえらい人でも、三度に一度は失敗したほうが身のため

になりそうである。そしてその失敗を、謙虚さに生まれかわらせたほ

うが、人間が伸びる。

失敗の連続もかなわないが、成功の連続もあぶない話である。

 

 

この次は、次回に。

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