お問い合せ

「道をひらく」松下幸之助 ㊿+38

・求めずして

 

〝苦しい時の神頼み〟というけれど、おたがい人間、困って悩んで

セッパつまれば、やはり思わず手を合わし、神仏に祈りたいような

気持ちになってくる。どうかお頼み申します、どうかこのねがいを

おきき届けください—いろいろさまざまのねがいやら求めに、神仏も

たいへんであろう。

人情としてこれもやむを得ないとはいうものの、それにしてもおたがい

に、あまりにも求めすぎはしないか。頼みすぎはしないか。

頼りすぎはしないか。

手を合わすという姿は、ほんとうは神仏の前に己を正して、みずから

のあやまちをよりよくなくすることを心に期すためである。

頼むのではない。求めるのではない。求めずして、みずからを正す姿が、

手を合わす真の敬虔な姿だと言えよう。

これは別に神仏に限ったことではない。日々の暮らしの上でも、あまり

にも他を頼み、他に求めすぎてはいないか。求めずして己を正す態度と

いうものを今すこし養ってみたい。個人としても、団体としても、また

国家としても。そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の

姿があると思うのだが—-。

 

● 苦しい時の神頼み

 

ふだんは信仰心を持たない人が、病気や災難で困ったときだけ神仏に

祈って助けを求めようとすること

 

● 敬虔

 

うやまいつつしむ気持ちの深いさま。特に、神仏を深くうやまい仕える

さま。「―な祈り」「―の念が深い」

 

・大衆への奉仕

 

大衆は愚衆である。だから、この愚かな大衆に意見を聞くよりは、偉大

なる一人の賢人があらわれて、その独裁によって政治が行なわれること

が、もっとも望ましい——-かつての大昔、だれかがこんな考えを世に

説いて、それが今日に至るも、なお一部には、達見として尊ばれている

ようである。

たしかに大衆には、こうした一面があったかもしれない。そしてこう

した考えから、多くの誤った独裁政治、権力政治が生み出され、不幸な

大衆をさらに不幸におとしいれてきた。しかし、時代は日とともに進み、

人もまた日とともに進歩する。今や大衆は、きわめて賢明であり、そして

またきわめて公正でもある。この事実の認識を誤る者は、民主主義の

真意をふみはずし、民主政治の育成を阻害して、みずからの墓穴を掘り

進むことになるであろう。

くりかえして言うが、今日、大衆はきわめて賢明であり、またきわめて

公正である。したがって、これを信頼し、これに基盤を置いて、この

大衆に最大の奉仕をするところに、民主政治の真の使命があり、民主

主義の真の精神がひそんでいると思うのである。

国家繁栄への道も、ここから始まる。

 

● 愚衆

 

愚民(おろかな人々。無知民衆。)

 

● 達見

 

物事を広く、また先々まで見通す、すぐれた意見見識達識。「―の士」

 

● 賢明

 

かしこくて、物事判断適切であること。また、そのさま。

「―な処置」「早く報告したほうが―だ」

 

 

この続きは、次回に。

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