お問い合せ

続「道をひらく」松下幸之助 ㊻

● 悲観・楽観

 

いくら人智が進んでも、いくら考えつめてみても、やはり明日をも知れ

ぬわが身である。この人の世である。

だから人さまざまの期待と不安が入りまじり、事あるごとに楽観した

り悲観したり。そんな毎日、そんな刻々である。

楽観していて、それでラクラクと事が運ぶときもあれば、思わぬ破たん

に心あわてるときもある。

悲観して落胆して、これでもうおしまいと思うそのなかに、はからずも

道がひらけることもある。

つまりは事の成る道が、悲観楽観の人間の情を越えた、はかり知れぬ

ところにあるとも言えよう。

事の成り立つ天与の大道というものが、一喜一憂、人の思いのさまざま

あやなすなかで、しかもなおひとすじに存在していると言えるのである。

悲観楽観が心に波打つのは、人としてやむを得ぬ姿。しかしお互いその

刻々の思いにいささかとらわれすぎはしないか。

楽観よし悲観よし。悲観の中にも道があり、楽観の中にも道がある。

 

● 人知・人智

 

人間の知恵。人間の知能。「―を尽くす」「―の及ぶところではない」

 

● 一喜一憂

 

状況の変化などちょっとしたことで、喜んだり不安になったりすること。

また、まわりの状況にふりまわされること。

 

● あやなす(綾なす)

 

1. さまざまの美しいいろどりを示す。美しい模様をつくる。

  「錦 (にしき) ―・す木々」

 

2. (「操す」と書く)巧みに扱う。あやつる。

   「いろいろな男を―・した経験で」〈荷風つゆのあとさき

 

 

この続きは、次回に。

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