書籍「Effectuation エフェクチュエーション」 ⑭
✔︎ 「行動しないことの機会損失」も考慮する
これまで確認してきた、最悪の事態で起きうる損失のなかには、新しいチャレンジを
するという行動の選択によって、他の選択を実行できなかったことで生じる架空の費用、
すなわち行動することの「機会費用」も含まれます。たとえば、会社を辞めて起業した
人がそれまで勤め先から得ていた給与所得のように、新しいチャレンジに費やされる
時間や労力を、別の取り組みに投入していれば当然得られたであろうリターンが存在
するのであれば、それは機会費用であり、損失可能性に考慮されます。ただし、機会
費用には、行動しないことの機会費用(機会損失)も存在します。つまり、もしそのタイ
ミングでチャレンジする行動を起こさなかったゆえに、失われてしまうものがあるので
あれば、それもまた損失可能性の中に考慮されるべきだといえます。
世の中で起業家やイノベーターと称される人々が、しばしば大きなリスクを伴う行動を
思い切って決断をしていることは、許容可能な損失の原則に一見反しているように思わ
れるかもしれませんが、これも行動しないことの機会損失を考慮することで理解可能に
なります。つまり、そうした起業家は、チャレンジがうまくいかない場合に失われるも
のではなく、そのタイミングで行動しないことで逆に失われてしまうもの(機会損失)も
考慮している可能性があります。もし後者の機会損失のほうが大きいのであれば、たと
えリスクを伴うとしても思い切って行動することのほうが、より損失可能性を低くする、
合理的な意思決定といえるでしょう。
・トヨタの創業者はなぜ不可能と言われた自動車産業に参入したのか
その理由としては、繊維機械の世界トップメーカーであるイギリスのプラット・ブラザ
ーズ社を、大正11年と昭和4年の二度にわたって訪問した豊田さんが、かつて栄えていた
同社や繊維産業の衰退ぶりを目にし、最も将来性があり、日本にとっても必要な自動車
産業への進出を決意したのではないか、という背景が推測されています。
その時に、豊田さんがしたのであろう意思決定について、野口さんは次のように説明
しています。
「乗るか反るかの勝負を独断で仕掛けて失敗したところで、それが日本のためになる
発明や新分野への挑戦なら、後ろ指を指されることはない。むしろ、守りに入って何も
挑戦しないほうが(明治国家の発展のために自動織機の発明に邁進した父)佐吉の精神に
悖るわけだ。」(野口、2016年、147ページ)。
つまり豊田さんは、リスクの大きいチャレンジによる損失可能性よりも、チャレンジ
しないことで失うもののほうが大きいと判断したと考えられます。これはまさに、行動
しないことの機会損失を明確に意識した意思決定だった、といえるでしょう。
○ 悖る
悖る(もとる)とは、道理や規範に反すること、背くことを意味します。また、物事が
ゆがんだり、ねじ曲がったりするという意味も持ちます。
この続きは、次回に。
2025年10月27日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美

