人を動かす経営 松下幸之助 ㉘
・ 60%の可能性で—適任者の選び方
私は日ごろから、できるだけむずかしくものを見ないように、いいかえれば、なるべく平易にものを
見るように、と心がけている。
それはどういうことかというと、たとえば交渉事であれば、かけひきも何もなしにこれに臨むという
ことである。つまり、十のものは十、五のものは五とありのままに相手に説明し、五のものをまず
はじめは六といっておいて、あとで譲歩して五にするといった行き方は、とらないようにするのである。
もちろん交渉のテクニックというか技術という点からいくと、やはり五のものは六と言っておいて、
あとで話しあいの中で五に決める、という方が話しが早いという見方もある。しかし私は、そういう
行き方は、ものをむずかしく見ることになると考えている。だから、私の場合は、初めから五は五、
ということで相手に対する。要するにありのままの姿を相手に見てもらうというつもりで話をするの
である。
そうすると、そのようなやり方で話しがうまくいく場合もあれば、うまくいかない場合もある。
けれども、そのどちらが多いかというと、うまくいく場合の方が多い。
私の体験からすると、うまくいく場合の方が六十パーセント、うまくいかない方が四十パーセントと
いったところである。
そうすると六十パーセントの成功率の行き方をとった方がいいから、それで十分結構だと考える。
それが私の行き方である。
それを、六十パーセントでは物足りない、八十パーセントも九十パーセントも成功しようと思うと、
そこから問題が出てくるわけだが、私はそういうことは思わない。
五分五分よりも少しよくて、六十パーセントの成功率であれば、これは結構としなければならない、
それ以上のことを望むというのはムリというものだ、という考えを私はつねにもっている。
会社の経営をするにしても、また会社の人に働いてもらうにしても、私はそういう考えで事にあたって
きたのである。
たとえば、ある社員の人がいて、この人に何かの仕事をしてもらおう、ということが終始起こってくる。
その時に、その人が適任であるのか、不適任であるのかということは極めて重要な問題である。
そこに経営者として的確な判断が求められるわけだが、それは実際にはよくわからないことが多い。
もちろん話をしてみたり、顔つきを見てみたり、あるいは才能試験のようなことをしてみれば、ある
程度のことはわかるだろうが、本当のところはなかなかわからない。
そこでどうするか、というと、私の場合、この人だったら、だいたい六十パーセントぐらい行けそう
だ、と思ったら、もう適任者として決めてしまう。そうすると、結構うまくいく場合が多い。
もちろん、なんとか八十パーセントの可能性のある人をさがそう、ということで、いろいろな角度から
選んでそれに足る人をさがせば、そういう人をさがしあてることもできると思う。そして、そういう
人が見つかれば、それはそれに越したことはない。しかし、そのためには非常な時間と手間がかかる。
それはある意味では大きなマイナスになる。
だから、もうだいたい話してみて六十点の実力があるな、と思つたら、「君、この仕事をやってくれ、
君なら十分いけるよ」というようにしてしまうのである。
そうするとたいていうまくいく。中には百点満点というような仕事をする人もある。
もちろん、ぜんぶがぜんぶうまくいくというわけではなく、中には失敗する人もある。
もし六人の人がいたとすれば、三人はうまくいって、二人はまあそこそこである。
あとの一人がときに失敗する、というような状態が私の場合は多かったように思う。
そこで失敗した人には「君は失敗したから私が手伝おう」ということで、私なりに気づいた点を注意
しつつ応援する。それでうまくいくようになる場合もあるし、それでもなおうまくいかない場合もある。
うまくいかなければ、さらに赤く検討して、その原因がどこにあるかをさがす。
私は、そういうようにやってきた。そうすると、最善とはいえないけれども、だいたい七十パーセントの
成果というものが継続的にあがってくる。
それが今日の松下電器をつくり出した一つの要因といえるのではないかと思う。
人間というものには完全無欠ということはあり得ない。だから、人を使う場合にも、そういう人間の
姿をありのままに見て、その上でどうしたらいいかを考える。
そういうごく平易な行き方の中に、一つの大切なポイントがあるような気がする。
この続きは、次回に。