人を動かす経営 松下幸之助 ㉟
・ 自分の運命に従う—気に病まずに対処する
人間はだれでも、自分はこうありたい、こうすればよい、ということをある程度考えていると思う。
そして、そういった願いを実現するために、それぞれなりに努力している向きも多い。
そうした努力によって、自分の願いがかなえられる場合もあると思う。しかし、反対に、いくら自分は
こうありたいと願って努力しても、どうにもならない面もあるようだ。
それは、やはり、人それぞれに自分なりのものを持っているからではないかと思われる。
たとえば、私の場合、よく眠れない、ということがある。
夜にふとんへ入っても、なかなか眠ることができないのである。
これは、今に始まったことではない。若いころからずっと続いているのである。
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世の中をみれば、ふつうに食べても肥満しやすい人もある。またいくら大食いわしても太らない人も
いる。人それぞれに生まれついた体質がある。それは、本人としては、あまり好ましいとは思われない
場合もあろうが、しかし、結局、素直に承認するしかない。
いちいち気に病んでいてもどうしようもない。私は、こういうように考えているのである。
だから、今、私自身は、睡眠薬を飲まなければ眠れないけれども、これはこれで私にふさわしい姿な
のだ、これでいいのだ、というように考えている。
いってみれば、そういう一つの運命というか、自分なりのものが与えられているわけである。
自分の意思以外の事柄である。いわばそう運命づけられている。
そうであれば、その運命に従うしかない。従うのが嫌だと考えたのでは、これはむしろ自分にとって
不幸である。自分自身に問題がおこる。したがって、こういう点に関しては、あまり気に病まずに
対処していくことが大事だと思うのである。
・ くり返し訴える—お互いの心がまえを固めつつ
どんなにいいことを言っても、口に出したことばはすぐに消えてします。
聞いた方もすぐに忘れてしまう。よほど印象深く聞いたことばなら、そうすぐには忘れもしないだろ
うが、ふつうは二、三日もすればほとんど忘れてしまうことが多いのではなかろうか。
ところが、いいことを言った方の人は、相手は覚えているのが当然だと考えがちである。
したがって、覚えていないことがわかった場合、けしからん、ということにもなりかねない。
けしからん、といえば、たしかにけしからんことではあるけれども、しかし、人間の記憶力などは
一面頼りないものである。
しっかり覚えていなければならないとは考えても、すぐに忘れてしまいかねない。
そこで、どうすればよいか、ということである。
一つは、くり返し話すことである。
大切なこと、相手に覚えてもらいたいことは、何度も何度もくり返して言う。
二度でも三度でも、五へんでも十ぺんでも言う。そうすれば、いやでも頭に入る。覚えることになる。
それとあわせて、文字をつづって文章にしておく、ということも大切だと思う。
文章にしておけば、それを読みなさい、といえば事は足りる。
読んでもらえればくり返し訴えるのと同じことになる。
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また、昭和十二年、日華事変が始まると、日本の産業界はその波を受けて揺れ動いた。
軍需産業が優先となり、民需生産は強い制約を受けることになった。
松下電器も民需生産ばかりやっていくことはできず、昭和十三年から軍需生産にも協力することに
なった。しかし、それによって経営そのものが甘くなってはいけないので、全員の気持ちをひきしめ
る意味で、翌十四年春に、「経営の心得、経済の心得」と「社員指導及び各自の心得」というものを
文章にして社内に通達した。
その中の「経営の心得」を次に掲げてみる。
一、 経営と言い商売と言い、これみな公事にして私事にあらず。
商売大切にその道に尽くすは君国に忠誠をいたすと同じなり。
したがって商売はつねに公の心をもって行ない、いささかも私心を挟まざるよう心がくべし。
一、 よき経営は視野回を益し、あしき経営は社会を毒す。
さればよき経営を行なうためには、各自肝胆をくだくべきものと心得べし。
一、 お得意先大切に存じて謝恩の念を怠らず、その繁栄のためつねに粉骨砕心する事は、
これ社会報恩の第一歩なりと心得べし。
ことばづかいはその時代なりの古いものがあるが、こういう心持ちなり考え方には、今日でもきわめて
大切な点があるのではないかと思う。
松下電器には、こうした明文化された規則とか心得とか言ったものが、他にも少なからずある。
それらは、見方によれば、なんだか窮屈な感じを与える面もあるかもしれない。
けれども、また一面においては、お互いが仕事を進めていく上で、一つのよりどころともなるわけである。
規則も何もない、決められた事柄もない、という姿で事がスムーズに運ぶならば、それは理想的とも
いえよう。しかし、実際にはなかなかそうはいかない。だから、そういう理想に近づく過程においては、
やはり、お互いに期するものをもち、みずからを律しつつ、そして努力して目標を追求していくと
いった姿がのぞましいであろう。
そういうところにこそ、充実感も得られ、また力強い活動も生まれて、好ましい成果を得るという
姿もあらわれてくるのではないだろうか。
そういう意味からいって、一つの集団、一つの会社が、好ましい姿で力強い活動を続けていくためには、
やはりなんらかの規則、決まり、心得といったものを、ハッキリと明文化して、それをお互い一人
ひとりがくり返しかみしめていくことも、非常に大切なことの一つだと思うのである。
この続きは、次回に。