田中角栄「上司の心得」⑫
・大物の成功者には、共通項がある。「大胆の一方で、細心にして臆病」
怖いものなし、権力の頂上を目指してバク進していた田中角栄が、こう
ウナったことがある。
「ワシの寝首をかくヤツがいるとしたら、それは梶山(静六)をおいてない。
ワシが発掘した男だけのことはある」
その梶山静六は、陸軍航空士官学校を出、戦後29歳で茨城県議会議員に
初当選、40歳の若さで与野党の利害が衝突する県議会議長のポストを
こなしていた人物である。その梶山に目をつけ、国政に引っ張り出した
のが田中であった。
時に、田中は自民党幹事長で、近い将来の天下取りを期し、有能な手兵を
物色していたさなかであった。ちなみに、昨年(2020年)9月、安倍晋三
首相の退陣を受けて後継首相となった菅義偉が、「政治の師」としたのが
この梶山静六である。また、菅内閣でも経済産業大臣として留任した
梶山弘志はその子息にあたる。さて、田中はその後、首相の座に就くと、
この梶山とやはり有能な手兵として目をつけていた警察庁長官を退官した
ばかりでノーバッジの後藤田正晴の二人を、首相への登竜門とされる
官房副長官のポストに就けた。
梶山は官房副長官になるや、ただちに田中の期待に応えてみせた。
当時は、まだ自民、社会両党がしばしば激突する「55年体制」下で、
政府・自民党としては、法案を通すための社会党対策が最大の難問だった。
その難事を、官房副長官として田中のオーケーなど取らず、次々とさばいて
いったのが梶山であった。冒頭の田中の「ワシの寝首——-」の言葉は、
こうした梶山の手腕をにらみながらのそれだったのである。
ちなみに、一方の後藤田は、梶山の野党対策に対し、各省庁の官僚に
にらみを利かせ、政策のスムースな遂行という役割をまっとうしたの
だった。さて、こうした梶山は、その後、国政にたずさわるや、なるほど
田中の炯眼通りの成長を見せた。のちに、自民党幹事長、官房長官、
法務大臣、通産大臣、自治大臣兼国家公安委員長など、数々の重要ポストを
歴任することになる。
その梶山の政治手法の根幹を成したのは、事にあたる前の練りに練り上げた
「戦略」にあった。社会党を中心とする野党対策一つ取っても、単なる
手練手管ではなかった。梶山と親しかった政治部記者の、こんな証言が
残っているのである。「梶山の手法は、いかにも陸軍航空士官学校出らしく、
大胆と細心が常に背中合わせというのが特色だった。一方で、梶山には
『工程表』との異名もあった。すなわち、事に取りかかるときはまず
何通りもの戦術を描き出し、その中からそのときの状況に当てはめて
行動を起こしていた。夜、布団に入っているときでも、枕元には鉛筆と
メモ用紙が置かれ、アイデアが浮かぶとすぐ走り書きをするのを常として
いた。大胆と細心が巧みに綾なした、有数の〝戦略政治家〟と言って
よかった」
田中角栄もまた、夜中の2時頃にはいったん目を覚まし、枕元に置いて
ある役所の資料などに目を通し、一方で赤鉛筆を手に「国会便覧」の
ページをめくっては各議員に思いを致し、政権運営への支障なきをチェック
していたものだ。ここでは、田中も梶山も、一方で、人一倍の努力家で
あることも浮かび上がる。
● 寝首
相手が油断している隙を狙って陥れること。
● 手兵
手元に置いて直接率いている部下の兵士。手勢 (てぜい) 。
「手兵をもって奇襲をかける」
● 登竜門
「竜門」は中国黄河の中流にある急流で、ここをさかのぼることのできる
鯉 (こい) は竜になるという「後漢書」李膺 (りよう) 伝の故事から》
立身出世の関門。「芥川賞は文壇への登竜門だ」
● 炯眼(けいがん)
「炯眼」は、「慧眼」の意味も持ちますが、鋭い眼光という意味で用いる
ことが多いです。
仏教用語「慧眼(えげん)」
「慧眼」はもともと仏教の用語で、「えげん」と言いました。
「えげん」は、真理を悟るために必要な能力である「五眼(ごげん)」の
一つとされています。
「五眼」は、以下の5つです。
<五眼>
・肉眼(にくげん):肉体に備わっている眼
・天眼(てんげん):すべてを見通すことができる眼
・慧眼(えげん):すべての事物の本質は空(くう)である(実体はない)と悟る眼
・法眼(ほうげん):菩薩が人々を救うためにすべての事物の本質を見極める眼
・仏眼(ぶつげん):上記4つを備えた仏の眼
● 手練手管(てれんてくだ)
思うままに人を操りだます方法や技術のこと。あの手この手と、巧みに
人をだます手段や方法。▽「手練」「手管」は、ともに人をだます手段や
技術のこと。同義語を重ねて強調した言葉。
もとは遊女が客をだます手段をいう語。
● 綾なす
1. さまざまの美しいいろどりを示す。美しい模様をつくる。
「錦 (にしき) ―・す木々」
2. (「操す」と書く)巧みに扱う。あやつる。
この続きは、次回に。