田中角栄「上司の心得」㉑
周恩来首相もタジタジだった「日中国交正常化交渉」
「数字」による説得力の一方で、「歴史」についてはどうだったか。
こちらも、交渉の事前に徹底的に頭に叩き込み、官僚のレクチャーも
加えた豊富な〝資料〟を抱え込んで交渉の場に臨むというのが常で
あった。いい例が、昭和47(1972)年9月の「日中国交正常化交渉」で
中国の北京に飛んだ時、周恩来首相とこんなやり取りがあったものだ。
周恩来が言った。「田中総理、中国はこれまで一度も日本を侵略したことが
ありませんよ」田中は、すかさずこう切り返したのだった。
「元寇(鎌倉時代、中国大陸から元の軍隊が来襲した事件)がありますな」
博学で知られた周恩来は、「しかし、元は中国じゃないですよ」と押し
返したが、田中が相当、日中間の歴史を頭に叩き込んで交渉にあたって
いることを理解、好感を持ったようであった。以後、田中と周恩来は
互いに胸襟を開き、正常化を前に進めることができるのである。
交渉事で事の歴史に精通しておくことは、〝勝利〟への大きな要因に
なるということである。
交渉事は、もとより勝負である。負けるわけにはいかない。
〝勝率〟の高さについては、約2500年前の中国の大戦略家、孫子が教えて
いる。いわく、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」。
いわゆる「孫子の兵法」である。「彼を知り」とは、「敵を知る」という
ことにほかならない。敵の軍力、思惑を知らず、己の足元、実力もわき
まえずにむやみに突撃しても勝てるわけがないと教えている。
そのためには、相手に隙を見せるなの一方で、相手を知るべく事前調査が
不可欠ということになる。
● レクチャー(lecture)
講義。講演。また、説明。それを行うこともいう。
「英文学のレクチャーを受ける」「機器の扱い方をレクチャーする」
● 周恩来
[1898~1976]中国の政治家。江蘇省淮安 (わいあん) の人。
日本に留学後、天津で五・四運動に参加。のち、パリ留学中に中国共産党
フランス支部を組織。第二次大戦中は国共合作・抗日統一戦線結成に活躍。
中華人民共和国成立後は国務院総理として敏腕を振るった。
チョウ=エンライ。
● 侵略
他国に攻め入って土地や財物を奪い取ること。武力によって、他国の
主権を侵害すること。「隣国を―する」「―戦争」
● 博学
ひろく種々の学問に通じていること。また、そのさまや、その人。
「博学な(の)人」「博学多才」
● 胸襟を開く
思っていることをすっかり打ち明ける。「―・いて語り合う」
● 精通
ある物事について詳しく知っていること。物事によく通じていること。
「日本史に精通している」
● 要因
物事がそうなった主要な原因。「事件の要因を探る」
● 孫子
中国、戦国時代の兵法書。1巻13編。呉の孫武の著といわれる。
成立年代未詳。始計・作戦・軍形・兵勢などに分け兵法を論じる。
「呉子」とともに孫呉と並称される。1972年に発見された竹簡により、
現在の「孫子」は孫武の「孫子兵法」の一部であり、別に孫臏の「孫臏
兵法」が存在したことが解明された。
● 彼を知り己を知れば百戦殆うからず
勝利を知るための条件が五つある。
1. 戦ってよいときと戦うべきでないときをわきまえていれば勝つ。
2. 兵力に応じた戦い方を知っていれば勝つ。
3. 上下の人々が心を一つに合わせていれば勝つ。
4. 万全の態勢を整えて油断している敵に当たれば勝つ。
5. 将軍が有能で主君が将軍に干渉しなければ勝つ。
これら五つが勝利を得るための条件である。
だから「敵を知り己を知っていれば百戦しても破れることはなく、
敵を知らず己のみ知っているのでは五分五分で、
敵を知らず己も知らないのでは戦うたびに必ず破れる」と言うのだ。
この続きは、次回に。