田中角栄「上司の心得」㉛
三菱銀行頭取が震え上がった田中蔵相の一喝
大蔵省省議を出して6日目、頃はよしと見た田中は、その日の夜9時、
東京・赤坂にある日本銀行・氷川寮の一室に、大蔵省から佐藤一郎事務
次官、高橋俊英銀行局長、加治木俊道財務局調査官、メインバンク側から
富士の岩佐凱実頭取、興銀の中山素平頭取、そして日銀からは宇佐美洵
総裁ではなく佐々木直副総裁を集めた。
ここで日銀が総裁ではなく副総裁を出席させたのは、当時、「日銀特融」に
反対の宇佐美総裁の〝抵抗〟があったからとしたのが支配的見方であった。
また、三菱の田実渉頭取は、株主総会後のパーティーへの出席を理由に、
1時間ほど到着が遅れたものであった。
会議は、初めから難航の雲行きであった。メインバンクのうち、富士、
三菱の2行は支援に反対、そこで田中は個人的にも親しかった興銀の中山に、
こう話を振ったのだった。これが、田中の「次善の策」として用意した
2枚目のカードである。田中の「芸」が冴えるのである。
「どうだ。興銀で200億円ださんかね」
これに、中山がこう応えてみせた。
「それくらいは出せます。ただし、潰れそうな会社に200億円出すような
ことになれば、次の日に私は頭取を辞めます。第一、そんなことをしたら、
興銀の債権をどの銀行が買ってくれますかね」
田中は、この言葉に、至極もっともとの表情をつくってみせた。
ここが、2枚目のカードの〝肝〟ということであった。じつは、田中の
中山への話の〝振り〟には、裏があった。事前に、田中と中山の間で
打ち合わせ済みのやり取りだったのである。田中としては、興銀に明確に
ノーと言わせることで、結局は「日銀特融」しか道はないという結論に
持っていくシナリオだったということである。そして、繰り出されたのが、
トドメとしての「三善の策」である3枚目のカードであった。
日銀・氷川寮の会議は、始まって1時間が過ぎても重苦しい空気に包まれて
いた。そこに、三菱の田実頭取が遅れてやってきた。田実は、周囲の会話を
聞きながら、やがて口を開いたのだった。「まあ、この場で早急な結論を
出さず、取引所を閉鎖したうえで改めて善後策を討議したらどうでしょう」
このタイミングを逃さず、田中はいよいよ3枚目のカードを切ったのだった。
「君ッ、それでも銀行の頭取か! (山一が)都市銀行だったら、どうする
のかッ」
年若の大蔵大臣ながら、すでに自民党の実力者としての地歩を築いていた
田中に一喝された田実は顔色を変え、震え上がったのだった。
ここからは、完全に田中がペースを握ることになった。
日銀の佐々木副総裁が、すべてを悟ったように切り出した。
「やむを得ません。日銀が山一を支援することに致しましょう」かくて、
「日銀法二十五条(旧法)」が発動され、「山一」への282億円特融が
決まったのであった。
そのうえで、田中は決定直後の記者会見で、「これは無担保、無制限の
日銀貸し出しである」と語った。じつは、日銀側と詰めた中では、「無担保、
無制限」との文言は入っていなかったのだった。
田中としては、この支援策で「山一」が立ち直りを見せない場合、さらに
国民の動揺を招くとの考えがあり、追加支援の余地をなお残したという
ことだった。
「山一」はその後、立ち直ったが、田中が死去したのちの平成9(1997)年11月、
こんどはバブル経済にもまれ、経営者の無能ぶりも手伝って自主廃業に
追い込まれている。戦後救済と景気を大きく揺るがせかねなかったこの
「山一證券」危機救済問題は、田中のこうした水際立った交渉テクニック
として語り草となっている。
● 難航
1. 暴風雨などのために、航行が困難になること。「時化 (しけ) で船が
難航する」
2. 障害が多く、物事がはかどらないこと。「労使の話し合いが難航する」
● 至極
その状態・程度が、これ以上はないというところまでいっているさま。
きわめて。まったく。「至極便利である」「至極ごもっとも」
● 肝
心。また、人の心の奥深いところ。
● 善後策
後始末をうまくつけるための方法。「善後策を講じる」
● 地歩
ある人が占めている位置、または役柄。立場や地位。「地歩を固める」
● 一喝
1. ひと声、大声でしかりつけること。大喝 (たいかつ) 。
「一喝して、追い払う」
2. 禅家で、悟りを得させるために加える𠮟咤 (しった) 。喝。
● バブル経済
不動産や株式などの資産価格が実体経済とかけ離れて高騰すること。
価格上昇の根拠が乏しく、下落基調に転じると過熱状態が一気にしぼんで
持続性に欠けることから、泡(バブル)になぞらえられます。
日本では1980年代から低金利を背景に地価が高騰し、株価も急伸しました。
この続きは、次回に。