田中角栄「上司の心得」2-⑤
第4章「心理戦争」社会の勝者を目指す
● 「信望」は、些細な中で生まれると知る
平素の社会生活の中でも、忘れてはならないのが、人間関係はすべて
「心理戦争」のルツボの中にあるという認識だろう。
相手が喜び、納得するような会話ができ、行動が取れれば、巧まずとも
人の支持は広がっていく。そのためには、対人関係で言えば、相手の心の
移ろい、すなわち心理を理解することが大事だ。
〝唯我独尊〟では、人は付いてこないということである。
先の項でも記したが、「人間学博士」として知られていた田中角栄の名言、
至言にこうある。
「世の中は、白と黒ばかりではない。敵と味方ばかりでもない。その間に
ある中間地帯、グレーゾーンが一番広い。そこを取り込めなくてどうする。
我を通すだけが能ではない。これを理解することが、人の支持が集まるか
どうかの最大のポイントになる。真理は常に中間にありだ」
「心理戦争」社会の勝者たれ、ということである。
しかし、勝者になることに、大層なことは必要ない。些細な心配りが
できるか、巧まずに相手の琴線に響くような言葉が発せられ、行動が
取れるか否かが、その〝分かれ目〟となる。心すれば、さして難しい
ことではないということである。
「信望」という言葉がある。信用と人望を指し、人は大事の中でそれを
獲得するケースもあるが、些細な日常の振る舞いの中で手にすることも
少なくない。田中における後者のそうした好例は、首相在任中の衆参の
本会議場で見られたものだ。
衆参の本会議場を見学、あるいはテレビなどで見た人はお分かりかと思うが、
議員席から見て議長席のやや下、演壇の左右に大臣席が並んでいる。
衆議院の場合は、向かって左側の席の一番右端が首相の〝定席〟である。
一方、その大臣席の後ろに座っている人たちがいる。
ここが、衆参両院とも事務局職員の席になっている。
首相席のちょうど後ろあたりに議長を補佐する事務次官ほか各部長が、
右側の大臣席の後ろには議事録を扱う職員がいる。
さて、本会議開始のベルが鳴ると、議場横の出入口から、首相以下、
各大臣が入ってくる。当然、首相は席を着くために事務局職員の前を通る
ことになる。
田中派担当だった記者が、こんな話をしてくれたのを思い出す。
「田中首相は事務局職員の前を通るとき、例の右手を挙げるポーズで、
必ず『ご苦労さん』と声をかけていた。事務局のべテラン職員に聞いても、
それまでそんなことをした首相は一人もいなかったそうだ。
会釈すらなかったそうです。ためか、事務局職員は歴代首相を『○○先生』と
姓で呼んでいたが、田中首相だけは『角栄先生』と名前で呼ぶ者が少なく
なかった。親しみと敬意から来たものだったことは言うまでもない。
その後、中曽根康弘がこの話を耳にし、首相になってマネをしようとした。
もっとも、プライドが高かったゆえか、会釈だけで『ご苦労さん』の声は
なかったそうだ」
● 平素
ふだん。つね日ごろ。副詞的にも用いる。
「平素の努力」「平素利用しているバス」
● ルツボ(坩堝)
1. 熱狂的な興奮に沸いている状態。「会場が興奮の坩堝と化す」
2. 種々のものが混じり合っている状態や場所。「人種の坩堝」
● 巧まずして
そうなることを意識したり、効果を考えたりしたわけではなくて。
はからずも。「童話が巧まずして痛烈な社会批判となる」
● 琴線
心の奥深くにある、物事に感動・共鳴しやすい感情を琴の糸にたとえて
いった語。「心の琴線に触れる言葉」
● 信望
信用と人望。「信望の厚い人」
この続きは、次回に。