お問い合せ

田中角栄「上司の心得」2-⑩

「鶴の一声」で予算分捕り

 

「お願いがございます。田中総理にお目にかかってお話をさせて頂きたい

ことがあります。少しでもお時間を取っていただけませんでしょうか」

折から内閣発足から時間も経っておらず、加えて「日中国交正常化」と

いう大仕事をやった直後で超多忙の田中であったが、秘書官からの話に、

即刻、返事をした。

「いますぐでいい。10分くらい(日程に)入れられるだろう」

秘書官からの返事を受けて、宮城はただちに官邸に駆け付け、応接室で

田中に会った。秘書官にはほんの大ざっぱな話だけを伝えてある宮城は、

ここでは切々と訴えた。「総理。養護施設にはすばらしい才能、能力を

持った子どもがおります。ところが、そういう子どもたちが、高校へ進む

予算がないのです。総理のお力で、なんとかして頂けませんでしょうか」

神妙に聞いていた田中がいった。

「分かった。しかし、すぐこの場で返事はできん。しかし、年明け早々

には必ず返事をする。それにしても、そんなことになっているとはワシも

知らなかった——-」

 

この場面から約3カ月後の年明け1月の特別国会のさなか、宮城のもとに

時の官房長官・二階堂進から官邸に来るようにとの電話が入った。

宮城を前にして二階堂が言った。

「お待たせしましたが、予算がつきました。これですべての養護学校の

子どもたちは、高校教育が受けられるようになります。本当によかった」と。

実はこの予算付けは、田中の「鶴の一声」によって決まったものであった。

田中は飛び切りの頭脳を持ちながらも、自身が家庭の事情から上級学校に

進めなかったことにより、子どもの教育の大事さは、人一倍、身にしみて

いた。ために、首相在任中には、将来のこの国を背負って立つ子どもたちの

教育を預かる義務教育の教師の給料は安すぎる、これでは人材も集まらぬ

として、それまでの政府が渋っていた教師の待遇改善のため「人材確保法」を、

自らの手で制定したものだった。

そのくらいだから、宮城の話には報いて当然ということでもあった。

当時の官邸担当記者の話が残っている。

「田中は、もとより大蔵省には絶大な影響力を持っている。ましてや、

権力は首相として絶頂期にあり、時の大平(正芳)派の大物、斎藤邦吉厚生

大臣に根回しし、宮城まり子から陳情予算を、半ば強引に年末の予算編成の

復活折衝にねじ込ませたものだった」

一方、後刻、宮城の陳情について、先の家で息子の捜索を頼んできた

〝ばあちゃん〟の依頼ともども、秘書の早坂茂三はこう言っていたもの

である。

「宮城まり子以外にも、実は困った芸能人からの陳情、知恵を貸して

頂きたいとの類いの相談はいくつもあった。落語家の林家木久蔵(現・

木久扇)も、ラーメン店を中国に出店したいと相談に来ていた。

これは「中国友好協会」を紹介、うまくいったらしい。

家出息子の捜索依頼のばあちゃんの件も含め、オヤジさん(田中)の姿勢は

とにかく頼まれたことはできるだけ何とかしてやりたいという姿勢で一貫

していた。そのうえで、そうした頼まれことが解決したあとも、誰に

こうした話をするでなし、ケロッとしていたのが常だった。むしろ、

頼まれ事を持ち込まれるのをたのしんでいたフシもあった。

自民党に大物は数々いたが、こういうタイプの〝親分〟は、オヤジさんを

おいていなかったんじゃないか」

まさに、「情けは人のためにならず」が身にしみ込んでいた田中であった。

 

● 神妙

 

1. 人知を超えた不思議なこと。霊妙。しんびょう。

  「神妙不可思議な力」

2. 心がけや行いが立派ですぐれていること。けなげで感心なこと。

    また、そのさま。殊勝。しんびょう。「神妙な心がけ」

3. 態度がおとなしく、すなおなこと。また、そのさま。しんびょう。

  「神妙に小言を聞く」「神妙な顔で控える」

 

● 鶴の一声

 

結論をあっさりと下す権力ある一言。 反対意見にも有無を言わさない

権力者の意見、決断などを指す表現。

 

● 人材確保法

 

人材確保法とは、教員の給与を一般の公務員より優遇することを定めた

法律のこと。優れた人材を確保し、義務教育水準の維持向上を図ることを

目的として1974年に特別措置法が制定された。

 

● 後刻

 

しばらく時間のたったのち。のちほど。「詳しい話は後刻改めて」⇔先刻

 

● 情けは人のためにならず

 

情けは人のためならず」とは,に対して情けを掛けておけば,巡り

巡って自分に良い報いが返ってくるという意味の言葉です。

 

 

 

この続きは、次回に。

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