ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」②
経営者の条件
P.F. Drucker Eternal Collection
ドラッカー名著集-1
THE EFFECTIVE EXECUTIVE
P.F.ドラッカー
【著】
上田 惇生
【訳】
ダイヤモンド社
本書『経営者の条件』は、1966年、ドラッカー56歳のときの著作である。
組織の全員がエグゼクティブのように働くべきことを説く、万人のための
帝王学である(「まえがき)と「序章」はそれぞれ1985年と2004年に加筆)。
まえがき
普通のマネジメントの本は、人をマネジメントする方法について書いて
ある。しかし本書は、成果をあげるために自らをマネジメントする方法に
ついて書いた。ほかの人間をマネジメントできるなどということは証明
されていない。しかし、自らをマネジメントすることは常に可能である。
そもそも自らをマネジメントできない者が、部下や同僚をマネジメント
できるはずがない。マネジメントとは、模範となることによって行うもの
である。自らの仕事で業績をあげられる者は、悪しき手本となるだけで
ある。
一応の成果をあげるためでさえ、理解力があり、懸命に働き、知識がある
だけでは十分でない。成果をあげることはこれらとは違う何かである。
とはいえ、成果をあげるために特別の才能や、適性や、訓練が必要なわけ
ではない。物事をなすべき者が成果をあげるには、いくつかの簡単なことを
行うだけでよい。成果をあげるには、本書で述べているいくつかのことを
実行すればよい。しかもそれらを実行するために生まれつき必要なものは
何もない。
私は45年間、いろいろな組織のエグゼクティブと働いてきた。大きな組織も
小さな組織もあった。企業、政府機関、労働組合、病院、大学、地域の
NPO (非営利組織)があった。アメリカ、ヨーロッパ、南米、日本の組織が
あった。しかしいまだかつて、一人として、天性のエグゼクティブ、
生まれつき成果をあげるエグゼクティブに出会ったことはない。
成果を上げている者はみな、成果をあげる力を努力して身につけてきて
いる。そして彼らのすべてが、日常の実践によって成果をあげることを
習慣にしてしまっている。しかも成果をあげるよう努める者は、みなが
みな成果をあげられるようになっている。成果をあげることは修得できる。
そして修得しなければならない。
ほかの人の仕事ぶりに責任をもつ経営管理者であろうと、主として自分の
仕事だけに責任をもつ独立した専門家であろうと、成果をあげることに
対して報酬を支払われることに変わりはない。成果をあげないならば、
いかに多くの知力と知識を使い、いかに多くの時間を使おうとも業績とは
ならない。
しかし今日までのところ、われわれは、組織に働くエグゼクティブの
成果について、驚くほど小さな注意しか払っていない。
企業、政府機関、労働組合、病院、マンモス大学などの組織は、いずれも
ごく最近のものにすぎないからである。20世紀にいたるまで、手紙を出しに
行く地元の郵便局以外には、ほとんど誰も組織などというものとは直接の
関わりをもたなかった。
エグゼクティブの成果とは、そのような組織の中において、組織を通じて
あげるべき成果である。したがって、ごく最近までエグゼクティブの成果に
注意を払う必要も、あるいは貧弱な成果に心を悩ます必要もなかった。
しかし今日では、ほとんどの人間、特に学校を出た人間は、彼らの人生の
多くの部分を組織で送るようになっている。社会は先進国では組織社会に
なっている。今日では、成果をあげることは、組織の中で成果をあげる
ことである。物事を成し遂げるべきエグゼクティブとして、組織を通じて
成果をあげることである。物事を成し遂げるエグゼクティブとして、組織を
通じて成果をあげられるかどうかが問題である。
しかも現代社会が機能し、成果をあげ、さらには生き残れるかどうかは、
組織に働くエグゼクティブが成果をあげられるかどうかにかかっている。
成果をあげる者は社会にとって不可欠な存在となっている。
同時に、成果をあげることは、新入社員であろうと中堅社員であろうと、
本人にとって自己実現の前提となっている。
カリフォルニア州クレアモントにて
ピーター・F・ドラッカー
● ピーター・ファーディナンド・ドラッカー
● Eternal(永遠)、Collection(収集)
● EFFECTIVE(効果的)
● EXECUTIVE(エグゼクティブ)
企業などの上級管理職。経営幹部。重役。転じて、高級。ぜいたく。「―カー」
● 天性
天から授けられた性質。また、生まれつきそのようであること。
副詞的にも用いる。天資。天質。「好奇心の強いのは―だ」「―明朗な人」
この続きは、次回に。