ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㉜
第一に、する必要のまったくない仕事、何の成果も生まない時間の浪費
である仕事を見つけ、捨てることである。
すべての仕事について、まったくしなかったならば何が起こるかを考える。
何も起こらないが答えであるならば、その仕事は直ちにやめるべきである。
忙しい人たちがやめても問題がないことをいかに多くしているかは驚く
ほどである。楽しみでも得意でもなく、しかも古代エジプトの洪水のように
毎年耐え忍んでいるスピーチ、夕食会、委員会、役員会が山ほどある。
なすべきことは自分自身、自らの組織、他の組織に何ら貢献しない仕事に
対してはノーということである。
毎晩会食していた社長がそれらの会食を分析したところ、三分の一以上は
会社から誰も出席しなくても構わないことがわかった。
遺憾ながら招待のいくつかは参席が歓迎されていないことさえわかった。
招待は形式にすぎなかった。欠席するものと思われており参席することに
よってかえって困惑を招いていた。
地位や仕事を問わず、時間を要する手紙や書類の四分の一はくず籠に放り
込んでも気づかれもしない。そうでない人にお目にかかったことがない。
第二に、他の人間でもやれることは何かを考えることである。
毎晩会食していた社長は、さらに三分の一はほかの幹部に任せられる
ことを知った。参席者のリストに社名が出ていればよかった。
権限委譲についてはこれまで長い間議論されてきた。
今日、企業、政府機関、大学、軍などあらゆる組織において権限の委譲が
求められている。しかも誰もが一度ならず自分でその必要を説いている。
しかし私は、そのような説が何らかの成果をもたらしたという例を目に
したことがない。誰も耳を貸さない理由は簡単である。
説かれている権限委譲のほとんどは、大体において意味のないものだからで
ある。
権限委譲が、自らの仕事をほかの人間にやらせることを意味していると
すれば、それはそもそも正しいことではない。誰もが自らなすべき仕事を
するために報酬を払われている。あるいはまたよく説かれているように、
何もしないエクゼクティブこそ最良のエグゼクティブであるから権限委譲が
必要であるというならば、それは意味がないというだけにとどまらない。
不真面目である。しかし他方、私が知るかぎり、時間の記録を見たあとは、
誰もが、自分でしなくとも住むことはほかの人間に任せるようになる。
なぜならば、時間の記録を一瞥しただけで、重要なこと、したいこと、
自らの責任でなすべきことに使える時間のまったくないことがあまりに
明白になるからである。
重要なことに取り組めるようになるには、ほかの人にできることはほかの
人にやってもらうしかない。
一つのよい例が海外出張である。C・N・パーキンソン教授は、その風刺的
エッセイにおいて、困った上司から逃れるには海外出張に出せばよいと
いっている。
今日、ジェット機はマネジメントの道具として過大評価されている。
確かに海外出張は必要である。しかしそのほとんどは若い人でもできる。
しかも若い人にとって海外出張は新しい経験である。
若いがゆえにホテルでもよく眠れる。疲れもすぐとれる。
したがって経験や訓練は十分だがすぐ疲れてしまう年長の上司よりは、
出張先でよい仕事ができる。
この続きは、次回に。