ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㉞
ある社長は、部内の会議が時間の浪費であることを承知していた。
しかし彼は、議題の如何にかかわらず、あらゆる会議に役職者全員を参加
させていた。その結果、会議の出席者が多くなりすぎていた。
しかも出席者たちは会議に関心があることをアピールするだけのために、
少なくとも一回はあまり意味のない質問をするようになっていた。
そのため会議はいつも長引いていた。
この社長は、部下たちもその会議を時間の浪費と考えていることを知ら
なかった。彼は組織の全員が情報を共有すべきであり、かつ地位にふさわ
しい扱いを受けるべきであると考えていた。しかも彼は、会議に呼ばれ
ない人は軽んじられたと感じるのではないかと恐れていた。
今日ではこの社長は、別の方法によってその不安を解消している。
会議の前に次のような連絡メモを部内の全員に届けさせている。
「わたは〔スミス、ジョーンズ、およびロビンソンの各氏〕に対し、
〔水曜の午後三時〕に〔四階会議室〕において、〔来年度の資本支出予算〕
について検討するため、私と会議をもつよう手配しました。
検討に参加を希望される場合、あるいは情報を必要とされる場合には、
会議に出席されるようご案内します。なお出席されない場合には会議終了後、
討議の要約と決定の内容をお届けし、その際には貴殿のコメントを要請
することにします」
かつては十数人が出席し午後いっぱいかけてしていた会議が、今では数人の
出席者と記録をとる秘書一人だけになり一時間ほどですむようになった。
しかも、誰ひとりないがしろにされたとは感じていない。
不必要かつ非生産的な時間が多いことについては、誰もがよく知っている。
しかし時間を整理することは恐れる。
間違って重要なことを整理してしまうのではないかと恐れる。
だがそのような間違いは直ちに訂正できる。整理しすぎればすぐにわかる。
就任したばかりのアメリカの大統領は当初、あまりに多くの招待に応じて
しまう。それから次第にほかになすべき仕事で成果をあげるうえで役に
立たないことがわかってくる。そこで彼は通常、逆にそれらの招待を整理
しすぎ、その結果、外部との接触を失ってしまう。
数週間ないしは数か月後には新聞やテレビから「大衆との接触が失われて
いる」と指摘されるようになる。
そしてやがて大統領は、仕事の成果に結びつかないことに時間をとられずに、
かつ国民に直接訴える場として公の場に出ることができるようになっていく。
事実上、時間を整理すぎる危険はあまりない。通常、誰でも自分自身の
重要度については、過小ではなく、課題に評価しがちなものである。
そして、あまりにも多くのことが、自分でなければできないと考える。
こうして大きな成果をあげる者でさえ、多くの不必要かつ非生産的な仕事を
している。
時間の要求を整理しすぎる危険が取り越し苦労にすぎないことは、かなり
重症の病人や障害者が示す恐るべき成果の大きさから知ることができる。
よい例が第二次世界大戦中にセオドア・ローズヴェルト大統領の特別顧問を
つとめたハリー・ホプキンズだった。当時重い病気にかかっていた彼は、
歩くことさえ苦痛で、一日お気に数時間しか働けなかった。
彼は重要なこと以外はすべて整理せざるをえなかった。
しかし仕事上の成果は少しも損なわれなかった。
それどころかチャーチルが「確信の大家」と呼んだように、戦時中の
ワシントンにおいて誰よりも多くの仕事を成し遂げた。
ハリー・ホプキンズの例はもちろん極端である。
しかしこの例は、本当に努力さえすれば、いかに自分の時間をコントロール
できるか、成果をあげることを損なうことなく時間を整理できるかを教えて
くれる。
この続きは、次回に。