ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+12
組織の違いは、企業、政府機関、大学などの間に見られるだけではない。
同じ種類の組織の間でも見られる。私自身いまだかつて、まったく同じ
価値基準をもち同じ貢献を重視する組織を目にしたことがない。
ある大学で生産的で充実した生活を送っていた教授が、大学を移って不満を
抱き、途方に暮れ、能力を発揮できなくなるという例は学部長がよく目に
するところである。
アメリカの公務員人事委員会が、いかに同一の規則、同一の基準をもつ
よう指導しても、政府機関は設立数年後には独自の文化をもつようになる。
それぞれの機関が、それぞれの職員、特にそのエグゼクティブに対し、
成果をあげ貢献を果たすうえで独特のスタイルを要求するようになる。
少なくとも労働力の流動性が高い欧米諸国では、若いうちは仕事を移り
やすい。それでも一○年以上一つの組織にいると、特に成果をあげていない
者にとっては、職務を移ることが困難となってくる。
したがって若い知識労働者は、早い時期に「自分は自分の強みがものを
いう適した仕事についているか」を自問しなければならない。
しかしもし彼の最初の仕事があまりに小さくかつ容易であって、能力を
引き出さず、経験の欠如さえカバーするよう設計されていたならば、
この問いに答えるどころかこの問いを発することもできない。
軍の医務官、研究所の科学者、企業の会計士、工場の技師、病院の看護師
などの若い知識労働者を対象としたあらゆる調査が同じ結果を示している。
熱意に燃え誇るべき成果をあげている人とは、その能力が挑戦を受け活用
されている人である。これに対し、強い不満をもつ人はみな、言い方こそ
違っても「能力が生かされていない」という。仕事の大きさが、挑戦を
受け能力を試すにはあまりに小さすぎるとき、若い知識労働者は組織を
去るか、さもなければ急速に不機嫌で非生産的で未熟な中年となってしまう。
今日あらゆる分野のエグゼクティブが、胸に炎を抱いているべき若者たちの
多くがあまりに早く燃えかすになるといって嘆く。
しかし責められるべきは彼らエグゼクティブである。彼らが若者たちの
仕事をあまりに小さなものによって彼らの胸の炎を消している。
この続きは、次回に。